オープニングスタッフと言うのは比較的によく耳にすると思うが、クロージングスタッフというのは聞いたことが無い。
カタカナで書くと洋服のクロージングとも取れるので、アパレル系スタッフとも読めるかな?
それとは違って、終わりを引き受けるスタッフと理解して欲しい。
兎も角、4.5ヶ月の仕事が終わった。
あるメーカーのひとつの事業部(店舗)が終わるに当たって、その終わり4.5ヶ月を静かに美しく終わらせて行くという仕事を引き受けたのは昨年の紅葉をこれから迎えるという頃。
長年、働いていた古参のスタッフが事業部の撤退を知って急遽職場を去る事を決意、その後釜に私が入った形になる。
形態は違うが、ひとり店長のような仕事。
そのために雇われ、2日で引き継ぎ、その後は手探りでの業務になった。
まあ、そんな状況はもう終わったことなので過ぎれは楽しい戸惑いの日々だったかなと思う。
店舗運営の要である、売り上げのアップもノルマもなく、ただひたすらに完了して行く商品構成でどうにか店舗を賄わなければいけない。
クロージングセールなどはしないし、もちろんお客様にアナウンスはしない。
通常と同じ流れで販売しながらの撤退。なので当然品薄、欠品によるご意見を頂戴する。だが、上からの御達しでクローズは口外厳禁だったため、その件はひたすらに謝るしかない。
その中でヴィジュアルを工夫しながら、在庫の有るものをpick up納品しながら、売り上げも前年比で120%を達成。
在庫が引き継ぎ時から3分の1に減りながらしにては大健闘だったと我ながら思う。
ここだけちょっと達成感なので(クロージングブランドに置いては余り問題にされないので少しだけ褒めさせて。笑)
そして、個人的な禊ぎをこの仕事に感じた日々でもあった。
私は10年ほど前にある外資系ブランドショップの店長していた。
本国では押しも押されもせぬブランドではあるけれど、日本のマーケットとは反りが合わずに終わりゆくブランドではあった。
前任者から引き継いだ時にはもうこれ以上下がりようがないとまで言われた売り上げが(全盛期から見ると)更に下がって行く中で、四苦八苦しながら戦っていた。
いろんな問題があった。
日本マーケットととのいろいろなミスマッチ。
価格、生活形態、商品数、コレクションラインだったため、それらを日本向けに再構築するというのも無理。コレクションラインは本国と同じものを売るのが原則なのだ。
売り上げ不足からくるスタッフの減少、何より店舗ビル側の外資系ブランドの契約事項に対する無知、ひとりのデザイナーのこだわりに対する尊厳の無視。
ユーザーに向けて出したい全力がその店舗側との交渉にエネルギーを吸い取られて、もはやボロボロになった3年目に私は白旗を挙げた。
辞めたのである。
愛する仕事であった為に、最後の断末魔を聞きたくなかった。
もちろん後任も自分で探して半年間、待ったをかけられての両者合意の上での退職ではあったが、気持ち的には「逃げた」というのが心情。
そう、最後の断末魔を聴いてあげられなかった想いはずっと心の何処かで燻っていた。
今回同じビルでのこの仕事のオファーを受けた時に、頭に浮かんだのは「因果応報」の文字。
人生の何処かでやり残したことは、いづれまた巡って来るなぁと思いながらの数ヶ月間だった。
なので、辞めた古参のスタッフの心情もよく分かる。愛があるからこそ、スクラップになった姿を見てられないという気持ち。
幸い、今回は初めてのブランドで、ハッキリ言って長年の思い入れも無かったので割り方事務的に作業が進めることができた。
クロージングスタッフというのがもし、一般的に広まるならそれはとても合理的なものごとの終らせ方かも知れないね。
全てにおいての冷徹な判断と思い切りのよさが終りゆくモノゴトには必要だと感じた出来事でした。
✴︎写真と内容は関連ありません
最近やたらボチボチとかゆっくりとか言いだしてる自分。
歳をとったのだ。
「がんばらない」
というのが合言葉になって久しい。
がんばりすぎてパンクする自分を知っているから。
経験値というのは大事ではあるけれど、行き過ぎると予測変換にすぐ「がんばらない」と出てくる。
物を床に落として拾うんだって、ちょっと一回間があくもんね。
「いきなりしゃがむと骨折るかもしらん」
ふと、しゃがんだ瞬間にボキッと鈍い音がする予想図が浮かんできて、「あわてないあわてない」
とまるでやる気のない一休さんのごとくである。
しゃがむくらいで骨折?と思うかも知れないけど、歩いてて足の骨を折った過去の経験値がそうさせるのだ。
全治3か月。
当時はまだがむしゃらだった。
ショップの店長という仕事を任されて休めない。
売り上げもあるし、第一代わりの人がいない。
通勤途中に小走りの私はかかとを捻り、捻った状態の足首に全体中をかけた。
イヤな方向に足首は曲がり、一瞬気絶しそうな痛みが走った。
しばらく痛過ぎてしゃがみ込んでいたが、何しろ開店の時間だ。
立ち上がり歩き出した。捻挫だと思っていた。
そのまま200メートル程歩いてみたところで、とても通常の速度では歩けない。
なにしろ足首がぶらぶらする。
歩きながら職場に電話をかけ、「少し遅れる」とスタッフに告げ、とにかくどこかで一旦、足首をテープかなんかで固定してもらえば歩けるんじゃないかと思った。
通り過ぎた道すがらに内科の医院があったのを思い出し、来た道をまた100メートル程戻ってその医院に飛び込んだ。そんなに混んではなかったので、待合室から何人かを経て診察室に呼ばれた。
今日ここに来た経緯を医師はふんふんと聞きながら履いていたソックスを下げる。
「まあ。ここまで歩いて来れたんなら、折れてはないでしょうけ、」
と言ったまま、ソックスを下げた私の生足を凝視した。
「折れてます」
足首から先がパンパンに腫れていた。
あんのじょう、内科専門の医院では処置はできないとの事で、整形外科のある病院に行く事になった。履いてきた靴は、脱いだ後に腫れ上がった足が到底入らず、片足は裸足。
親切な医院の奥様に車で自宅まで送っていただき、保険証を持ってタクシーで病院に向かった。
レントゲンを撮って、やはりの骨折、折れてるのは足首ではなくて、足の甲の部分だった。
さっそくギプスが作られる準備が整い、ギプスを撒かれながら、診察代の上で私はまた職場に電話していた。
「遅れるけど行くから」
ギプスを撒きながら整形外科医は「え?」と言い、「ちょっと今日は痛みも出るし、休めないの?」と驚いた様子で聞いてきた。
「無理ですね」と答え
「それより先生、ギプスをガンダムの足のように立てるように作って下さい」とお願いした。
「いや、ギプスは立っちゃダメだから。足に体重かけないように、床に着かないようにしないと」
困惑気味の先生になおも、仕事は休めない、立ち仕事なので立てるギプスにしてくれと言い張り、
ギプスの上から履ける靴は無いのか?靴屋を呼べと言い張る私。
靴屋は決められた曜日にしか来ないらしく、その日は違う曜日だったので来なかった。
「仕事はしてもいいけど、座ってできる仕事とかなにかあるでしょう?後方に回してもらうとか。」と医師は言うが、世の中そんなに甘くはないのだ。
「そんな仕事はないんです。立てないと仕事にならない」
根負けしたのか、ギプスは立てるように作られたが、足は床に着けないように、松葉杖は必須と医師から言い渡された。
病院のロビーで薬を出されるのを待っていると、会社から電話がかかってきた。
さすがに午後を回っていたので、今日だけは休もうかと思い始めたところだった。
かけてきたのはスタッフではなくて、当時の全フロアの責任者、いちばんエラい人であった。
明日から出勤します。という私に「頼むから休んでくれ。松葉杖の販売員を立たせているってお客様に怒られちゃうよ~」と逆に懇願された。
そして、私の言う通りギプスを作ってくれたけれど、歩き出そうとするとヒザの上までギプスがハマっているので、ヒザが固定されている事に後から気づく。
人間、膝が曲がらないと歩けないのだ。
ガンダムギプスは立てるけど歩けないギプスだったのだ。
してやられた。
結局ギプスをはめてる1ヶ月半。お休みをする事になった。
なんで、あんなにがむしゃらに出勤しようとしてたのかな?
いまなら文句なく休んじゃうけどな。
と、いかんいかん。
このゆるい気持ちを引き締めるべく、この文章を書き出したのに。
真逆の〆になってしまうじゃないの。
と、ひとりごちる睦月のある日の午後。
土曜日の夜。
カオリのボーイフレンドのドゥンとその友達のサンディが、レギャン通りから少し奥に入った路地沿いのホテルまで、バイクで迎えにきてくれた。
カオリはドゥン、私はサンディの後ろに乗り、夜中まで渋滞しているレギャン通りの車の間をバイクですり抜ける。
まるで以前からここに住んでいるような錯覚に陥る。
けれどこれは2週間の旅のほんのひとコマ。
仕事を辞めたばかりで、少しどこかで考え事をしようと思い、日本じゃない知らない場所で、知らない何かを見てみたいと考えてのバリ島旅行だった。
飛行機が着いて2~3日をクタで過ごし、それからバックパッカーの島、ギリ諸島を巡り、再びクタに戻ってきた。
午後になると蒸し暑い熱気が立ちこめる。
昼間はのんびりとホテルのプールサイドで過ごし、夕方少し涼しくなってから食事をしに出かけ、夜はどこかのバーで古くさい洋楽の生演奏を聴く。
それくらいしかする事がなくなっていた。
滞在期間があと何日かを残すだけとなり、最後にどこに行きたいかと訊かれ「アパチェ」と答えた。
アパチェは地元の人の発音。Apacheというクタでいちばん有名なレゲエバーだ。
元同僚のカオリも同時期に仕事を辞め、彼女は1ヶ月の滞在期間で先にバリに来ていた。社交的で英語の上手なカオリは来て早々現地でボーイフレンドを作り、もうその友達たちともシスター、ブラザーと呼び合う仲になっていた。
バイクを駐車場に停め、アパチェへ向かう。
道すがら声をかけてくる人たち。カオリの彼のドゥンはこの辺の顔らしく、どこに行っても知り合いが声をかけてくる。
また1人、アパチェの前ですれ違い様にハイタッチで挨拶していく。
何日か前にもここに来たが、その日は平日だった為に1fフロアのボックス席が何席か空いているくらいだった。けど今日はさすがの土曜日。どの場所も満杯で人があふれている。
私たちはドリンクカウンターで飲み物を頼み、2階への階段を上がってようやく空いてるテーブル席を見つけて腰を下ろした。
上から見下ろすと人の頭の数の多さに驚く。それがみんな思い思いに揺れている。
あと何日かで、このクタを離れる。2週間とは言え現地に馴染んでしまった今、離れるのは感慨深いものがある。
私は1人階下に降りて行き、フロアに出て踊った。
何度かサンディが追いかけてきた。彼はトイレに行くにもついてきて外で待っててくれる。彼の親切すぎる親切が少し面倒臭くなり見つからないように人混みの中に紛れた。
フロアの中央でさっきこの店に入る前にドゥンとハイタッチして行った彼が声をかけてきた。「ジャパニーズ?」お決まりの質問と笑顔。
「さっき店の前で会ったよね?僕の友達が君と僕の顔が似てると言っているよ」
そんなこと言われたのは初めてだ。どう見ても日本人顔の私とこのボブマーリー顔のドレッド君が似てるかな???
どこに泊まってるんだ?ホテルはどこ?と訊いてくる。
ホテル名を明かそうとしたところでサンディに腕をつかまれ元のみんなの場所に戻された。2階へ上がるとドゥンがとても怒っていた。めずらしい。彼はいつも笑顔なのに。
「昨日事件があった。知り合いのロシア人の女性がレイプされて、クレジットカードも盗まれた。ここから勝手に離れちゃダメだ。ここは本当に危ない。気軽に知らないヤツについて行っちゃダメだ。」
「だって、彼はあなたの友達でしょ?さっき店の前で挨拶してたじゃない?」
「知り合いは知り合いでも本当に信用できるとは限らない。そんな知り合いはいっぱいいる。ここにいる俺たち以外は信用するな。」そう言ってサンディと後から一緒に来たアセップを指差した。
ドゥンのあまりの剣幕に驚いたけれど、思い直した。
そうだここは外国だった。少し慣れたつもりでいたけど、日本とは違うのだ。
知り合いにカードを盗まれたり、レイプされたりなんて日本では考えないけど、ここでは日常の話なのだった。
仕事を辞めもしかしたら将来的に海外に住むのも考えようと思っていたけれど、レゲエバーのフロアで踊ることさえ日本とは違う心構えが必要なのだ。
外に出たらドシャブリの雨だった。
夜中の3時を回りいいかげん疲れたので帰ろうとしていたのに、この大雨では雨に濡れても気にしないバリの人達も軒下で雨を避けている。
けれどいつまでたっても雨足は衰えない。
「Go!」
最初に軒下を飛び出したのはドゥンだった。
そのままみんながあとに続き、駐車場からバイクを引っ張りだす。水たまりの中を雨水を蹴散らしながらバイクを転がし、なんとか通りまで出る。
サンディが自分の分のウインドブレーカーを貸してくれた。
すでに髪の毛も身体もべちゃべちゃに濡れているけれど、風が直接当たらないので寒さがマシだ。
とりあえず、雨を避けるために海岸道路沿いのマクドナルドに向かった。
あまりに濡れているので、店内には入らず外のテラス席でコーヒーを飲む。
まだ雨は止まない。
なんだか可笑しくなってきた。
バリ島くんだりまで来て真夜中のマクドナルドで目の色や髪の色が違う人たちに交じって振るえながらホットコーヒーを飲んでいる。
外はドシャブリで自分たちはずぶ濡れだ。そのうち空がすこしづつ白みかけてきた。鳥の声も聴こえる。まるで古い青春映画のワンシーンみたいだ。
この歳になって青春もクソもないけど、こんな経験をすることももうなかなかないだろな、と思い。。。
そもそも2ヶ月前には毎日同じ場所に、同じ仕事に、同じ人たちと、一緒にいるのが当たり前だった生活。
そこそこ楽しい事もあったし、めんどくさい事も、あった。
みんなそんなもんだと思っていたし、特別に不幸でも幸せでもなかった。
そんな暮らしが続いて行くだろうと思っていた。
いま日本から遠く離れた、知らない国で海から昇る朝日を知らない人達と一緒に見ながら、これからのことを思う。
いや、この歳になっても人生まだ何があるかは判らないな。
と思い直す。
そしてわけもなくワクワクしてきた。
完
私はバリ島に来たらやってみたい事があった。
もちろん、バリスパへ行って可愛いおねーさんにマッサージされながらココロとカラダを癒してもらったり
スミニャックビーチのカラフルクッションに座ってビールを呑みながら水平線に沈み行く夕陽を観て涙したり
美味しいバリ料理をバリバリ食べたり。(笑うところですよ〜)
とりあえずはすべてやってみた。クリアした。満足した。
けれど、バリ島といえばあの。。。
日焼けした顔に笑顔を浮かべてあの。。。
「バリ島行ってきたんだよ。いい波が来ててさ〜」的な。
「いやーやっぱり波はバリ島だよね」的な?
そういう会話を帰ってからぜひともひとつ繰り広げたいと思っていた。
そのためにはサーフィン!なにはなくともサーフィン!
ミーファーにサーファー!
そこでわたしはK織のボーイブレンドMドゥンがサーフィン教室で教えてるのをいい事に強引に予約を入れた。
ちなみに生まれてこのかたサーフボードどころかかまぼこ板にも乗った事はない。
さて、予約当日。いい感じに日当り良好だった。
幸いにもMドゥンのいるスミニャックビーチは遠浅で波も穏やかなので、初心者でも大丈夫という事だった。
初心者用の大きめのボードを用意してもらい、さっそくまず浜辺でのレッスン。
ボードを置きその上に寝ころび、波が来た事を想定し、
「GoGoGo! 」と言われたらパドリング(のマネ)
「Up!」と言われたら素早く両手をついて身体を起こし、両足でボードの上に立つ。
「GoGoGo! Up!!」
「GoGoGo! Up!!」
「GoGoGo! Up!!」
2〜3回やったところで、自分が手をついてすばやく起き上がれない事に気がついた。
腕の筋肉がないので、手の力だけで身体を支えてボードに立つという動作が出来ないのだ。そういえば腕立て伏せ出来ないし。わたし。
「えーっと、Mドゥン先生、、、コレはまず筋トレが先なのでわ、、、?」
と不安を隠せないまま振り返って笑ってみたが、日本語がわからない彼は
『ツギ、海ネ』という感じで無言で沖を指差した。
「マジですか?。。。」と思いながら、足とボードを繋ぐロープのベルトが足首に固定された。そのボードをMドゥン先生が持ち、2人で海へ入る。
その時点でまたある事を思い出した。
「あ、そういえばわたし、海で泳げなかった」
正確に言うと、泳ぎは得意なんです。
けど、それは足が底につくプールでの話。
立った時に水の中からちゃんと頭が出ている水深のプールならいくらでも泳いでいられる。クロールも平泳ぎも、バタフライさえも出来る。潜るのも得意。
けど、その水深が深くなったとたんパニクるんです。溺れる気がするの。
たぶん、どこかの前世で溺死したことがある気がする。
という事で。海で泳ぐ時には浮き輪が必要だったのに。
浮き輪無しで海へ入るなんて初めての経験。
「Mドゥン!アイ、キャント、スイム、ウェル!」
と言ってみたが、相変わらず無表情のMドゥンはどんどん先へ進み
『ン、コノ辺リネ』
という感じでボードを波の上に置いて、乗ってと指示する。
こうなったらもう仕方ない。
ごちゃごちゃ言ってないでやるしかないと腹をくくり、
「陸で出来ない事がはたして海の中で出来るのだろうか?」
という疑問が頭に浮かぶのを振り払い、波にゆれるボードの上に必死によじ登った。しばしパドリングをしながら波を待つ。
「GoGoGo!」
ボードを浜に向け、必死でパドル。
「Up!」
やはり立てない。
「GoGoGo!」
「Up!」
ボードにしがみついたまま浜に打ち上げられるか、手をついてそのまま海中に沈むか。。。。
何度目かの波で、ボードがひっくり返ってそのまま水中へ落ちた。
思ったよりも水深が浅くて、というよりほとんど水がなくて、いきなり砂の上に左胸から叩き付けられた。
落ちた瞬間、胸が痛いというより熱かった。
左胸を中心として熱と痺れが広がって行く。
けど、また波が来る。
ボードを拾って、沖に向かって歩き出す。
痛いけど、この時間は決まってるし、今やらねばいつやるの?って感じだったので、痛みは無視した。
その後も何度も「Go! Up!」を繰り返すが、いっこうに立てる気配はない。
身体さえ起こせない。そのうち腕が上がらなくなってきた。
さすがに効率が悪いなと思い、Mドゥン先生に休憩を申し出た。
少し休めば筋肉も回復するかも。
浜で見ていたK織と交代して、ボードを渡して座る。
海の中にいる時よりも身体の左側全体に痺れが広がってきた。
一緒に浜に居たMドゥンの友達のレゲエマン(と呼んでいる)がコーラをくれたので飲みながらしばし歓談。
レゲエマンが「名古屋」を知っているか?と聞くので、
「もちろん知っている」と答えたが、よく考えたらあまり行った事はないので
「名前は知っている」と訂正した。
「ボクは名古屋に行きたいんだ。友達が行ったことある」
といいながら砂に地図のようなものを描いてみせた。
それが名古屋なのかしら?と思ったが名古屋の形もよく思い出せなかったので黙って眺めていた。胸がかなり痛んできた。
『今日はもう無理かもな。。。』
とさすがにちょっと胸の痛みが普通じゃない感じがしてきたことに、ギブアップの逃げ道を探していたら、レゲエマンがつぶやいた。
「ゆっくりでいいよ」
「?」
かれはジェスチャーを交え、
「立ち上がる時に焦らなくていい」
「スローリー、モアスローリー」と繰り返した。
そうなのか。
Go! Up!のかけ声で、一瞬でボードに立つ絵を想像して、その通りに身体が動かない自分。ゆっくりでいいと言われ、それなら出来るかもと思った。
「今日はダメだ〜」と笑いながらK織が海から上がってきた。
「どうする?もう1回やる?」と浜辺に置いて来たボードを指差した。
「ちょっと行ってくる」
とわたしは立ち上がり、レゲエマンに向かって
「モア、スローリーね」と微笑んだ。
沖の波にゆられいい波を待つ。
なんとなく乗れそうな波も判ってきた。
Mドゥンが「Go!」という前にパドリングを始める。
『ゆっくり、ゆっくり』
意識して手をついて上半身を起こす。ボードの上でヒザまで立てた。
もう一度。
『ゆっくり、ゆっくり』
今度は身体を起こしてヒザ立ちのまま波の上を滑った。
ほんの数メートルだけど、確かに波に乗って進めた。
「波の上を滑るってこんな感じなのか」
初めての感覚に不思議な笑いがこみ上げた。
「レゲエマンありがとう」
一生懸命やってもなんだかうまくいかない時は、ちょっとその横のドアを開けてくれる人に出会うのがいいのかもしれない。
こっちにちがうドアがあるよ。と教えてくれる人に。
次にバリ島に行ってサーフィンをするなら
もちろん腕立て伏せは必須だけれども。
ちなみに、日本に帰って関空からすぐ病院に向かったわたし。
診断は「肋骨の骨折」でした。痛いわ、そら。
つづく
数時間後。私たちはKutaに戻っていた。
行きはファストボートに乗ってまずギリ・トラワンガン島に渡り、そこから翌々日ローカルボートでギリ・アイル島へ渡ってと3日間を費やした旅が、ギリアイルからの直行便でパダンバイの港まで2時間半。港からピックアップの乗り合い自動車に乗り、その日の午後には私たちはレギャン通りに降り立っていた。
ずいぶん遠くまで旅をしたつもりでいたのに帰りはあっという間。拍子抜けだった。
さて。船の中で自分についての想いから、私はKutaに着いたらK織とは少し別行動をしてみようと考えていた。1人で動いてみたかったのだ。
私はK織に今夜から別の宿に泊まろうと提案した。K織にしてもボーイフレドと逢う時間もあるし、ずっと私と一緒じゃない方がいいだろう。
それにしてもこれから歩いて条件のいいところを探し回るにしてはもう陽が傾きかけている時間だ。
そこでK織が先乗りして1人でバリに着いた時にFacebookにアップしていたいくつかのホテルに直接行ってみる事にしたが、日本にいる時でさえ道に迷いやすい私、宿探しにはけっきょく心配したK織がついてきてくれた。
ホテルといっても滞在日数はまだあと10日近く残っているし、1人で泊まるのだからいままでより割高になる。ポピー通りにある安ホテル、現地で言う「ロスメン」を当たった。
1件目は清潔で、内装もオレンジと黒と白を基調とした近代的デザイナーズホテルという感じでK織のオススメだったが、それだけに人気があるらしくその日は満室。それに綺麗なのにこした事はないのだけど、なんとなく近代的過ぎて気も乗らなかった。
それよりも、建物の中央に吹き抜けの中庭とプールが設えてある「リタホテル」が気になっていた。レトロな建築様式と中庭のプールのマッチングがとても印象的だったのだ。
果たして行ってみると、前回泊まった時のK織の顔も利いて、想いっきり値切って1泊約1200円ほどで泊まれる事になった。部屋も広く落ち着いた作り。日本では考えられない破格の宿代だ。
リタホテルには様々な人種が泊まっているらしく、ヨーロッパ、欧米、その他中国系の人々が入れ代わり立ち代わり姿を見せる。
私の部屋の前には廊下を挟んで中庭を見下ろすウッドデッキがありその共有スペースに幾つかのテーブルとイスのセットが置いてあった。
内側にセルリアンブルーのペンキを塗られたプールの中で、1人2人の宿泊客が気持ち良さそうに水底で遊んでいる。それを眼下に眺めているとこのKutaの蒸し暑い午後もいくぶん涼しく感じる。テラスでお茶を飲みながら、ここに来てようやく異国の一人旅の気分に浸ることができた。
私は午後いっぱいをこのテラスで過ごし、日が暮れてようやく自分がけっこうお腹がすいてる事に気がついた。
さてどうしよう?
安宿だけあってホテルの中にレストランもなければもちろんルームサービスもなさそうだ。もっともこの辺にはいくつも安くて美味しいレストランやワルンもあるので、わざわざホテルで食事をとる宿泊客はいないのだろう。
けれど繁華街の近くでこの辺りは危険なので夜は1人で外出しない方がいいと注意されていた。
これが日本なら知らない街で泊まったとしても、ご飯ぐらいは夜1人で食べに行くことに抵抗はない。むしろ知らない街の知らない食堂に面白い出会いがあったりして、それはそれで旅の醍醐味だったりするのだけれど。
ここは外国。しかも私は旅慣れない異国のオノボリサンだ。
取りあえず昼間買ってあった2ℓのペットボトルの水を抱えて飲みながら、今夜は早く寝てしまおうと思った。ドアの外の廊下のベンチに腰掛けながら煙草を吸っていると携帯が鳴った。K織からだ。
「今から行くから。晩ご飯食べてなくない?持って行ってあげる」
30分程してK織とMドゥンが来てくれた。お土産にテイクアウトのナシゴレンの包み。嬉しかった。
程なくして2人は帰り、私はホテル部屋のテーブルの上でナシゴレンを広げた。こちらの友達Sanのオススメだそうだ。1人なのを心配して私の分も買ってくれたらしい。地元の人のオススメだけあって本当に美味しかった。
本当に美味しかったのに何だか味気なかった。
日本から何時間もかけて飛行機に乗ってバリ島まで来たのに、1人になったとたん外にも出れず、ホテルの部屋でテイクアウトのペーパーに包まれたナシゴレンを食べている自分。知らない土地で無茶をするつもりはないけど、それでも少し臆病すぎるなと、自立の第1日目にして早くも自分にため息が出た。
朝起きて部屋の前のベンチで煙草を吸っていると、カフェスペースでの朝食作りが始まった。リタホテルには朝食が付いている。と言っても薄い食パンにスクランブルエッグを挟んだのとバリコーヒーというセットだけだが、一応手作りだし、朝起きぬけにわざわざコンビニまで行かなくていいので助かった。作ってくれてるのはホテルの従業員だがまだ若い女の子で年を聞いたら18歳だと言っていた。おなじ年くらいのやはり従業員の男の子とふざけてジャレながらパンにスクランブルエッグを挟んでいる。その横で宿泊客のヨーロッパ人の青年が勝手にパンを取り出し勝手にコーヒーを作り、テーブルに持ち帰り食べていた。すでに彼は自分の分は食べ終わっているが配られた量では足りないのだろう、何度もそれを繰り返している。
女の子は少しあきれた顔をしていたが何も言わなかった。
なんとなく客と従業員だからというよりもその青年に人種差別的な横柄さを感じた。
街で見かけたりホテルで会う宿泊客にも欧米やヨーロッパ人が大勢いる。
彼らはよくグループでバカンスに来ている。当たり前かも知れないが、そこに現地の人たちとの交わりをあまり見かけない。人種ごとにグループが別れていてその中でしか会話していない。
この国へ来てから向こうから話しかけてくるのはインドネシア人だけで、大勢いる他所の国の観光客とは同じ空間にいても彼らの視界に自分が入っていないような、妙な違和感があった。
人種的な問題?それとも単に箇々の性格によるもの?
答えを出すには、私にはまだ異国での経験がなさ過ぎた。
けれど、そんな想いはすぐ別の興味にかき消されてしまった。
テラスの階段をK織が手を挙げながら登ってくるのが見える。
今日は買い物をしてランチを食べて、夜はバリ島で1番有名なレゲエバーに出かけるのだ。
オバケバンガローの薄暗い部屋とプランクトンが波打ち際で光る漆黒の浜辺から、わずか数時間で都会へ戻り、一夜明けてKutaの雑多な繁華街の喧噪の中へと私たちは飛び出して行った。
つづく
さて、しばらくお休みしてしまった。
続きを書こうと思う。
話はギリ・アイル島に戻る。
その夜オギちゃんに別れを告げ、私たちはオバケバンガローに帰った。
帰りしなにK織は明日の朝、海岸通りの船のチケット売り場に行ってみると言い出した。
「明日、チケットが買えるならそのままKutaに戻ろうと思う」K織は言う。
思っていた程の盛り上がりのないパーティーアイランドであったことも大きいが、それよりなによりK織はKutaで知り合ったボーイフレンドに逢いたくてたまらなくなってきたらしい。
運命の出会いというものがあるのかないのか、彼女はバリ島に来て知り合った男の子と恋に落ちてしまったのだった。
そう、今となってはパーティーなんてどっちだっていいみたいだ。
ところで。
自分はどうしよう?
ギリトラワンガン島に比べてギリアイル島はかなりの田舎で、砂浜も海もとても綺麗でのんびりしている。ある意味、この旅でゆっくりしたいとイメージしていた理想の場所に近いかも知れない。美しい自然に囲まれて、騒がしい観光客も少なく大人のリゾートアイランドといった風情だ。
私はバリ島に来る直前にそれまで何年か勤めていた会社を辞めた。
何故に?と訊かれても本当に答えようがない。
ただ、すべてはタイミングだった。
人生には何度か「変わりゆく時」というのがあって、それは往々にして外からの暗示的な切っ掛けと、自分の中で積み重なってきた何かがスパークするように出会ってしまうタイミングがおこる。
禅語でいうところの「啐啄同時」というやつだ。
何かを思いついてやろうと思った時に、周りの環境や自分の立場、その他いろいろな事が要因で、不可能な事はままある。本人が努力しても出来ない事は出来ない。
けれど、本来なら叶いがたいはずの事が、何の障害もなくスルスルと叶ってしまう時がある。まるでそちらの方向に導かれているように。
そういう時には「そこに向かって進む」事にしている。
考え無しの自分のせいで痛い目は見ても、不思議と後悔する事はない。
不思議なタイミングでそれまでの仕事から離れて、少しこれからについて考えようと思った時、仲良しが計画したバリ島旅行に誘われ行ってみようと思った。
そんな経緯でその時の私はギリ・アイル島というバリの周辺の小さな島にいたのだった。団体ツアーでもなく、この先どこに行くかも、なにをするかも、明日どこに泊まるかも決まっていない。
同行のK織とは滞在日数がちがうので、帰りもバラバラだ。もとより、彼女は彼女の行きたいところに行き、私は私の過ごしたいところで過ごす、はじめにそう取り決めて出発した旅だった。
このブログの冒頭にも書いたが、私にはほぼ初の海外の旅。
そでれそんな旅をしようと思ったのは、その時の自分を試したかったからかも知れない。
パーティーへいく前、夕食を摂っていた浜辺のレストランで、暮れ行く海に夕陽が沈むのを眺めながら、とりあえず明日どうするかを私は考えていた。
このままK織は明日の船でKutaに戻るだろう。
わたしはどうしよう?
私にはK織のようにすぐさまKutaに戻りたい理由もなにもない。
この島はのんびり出来そうだし、1人で過ごすのも悪くない。
さしあたって、気に入らないのはあのオバケバンガローだ。
一晩だけ、しかもK織と2人ならまだしも、自分ひとりであの部屋で過ごす勇気はない。もし、自分ひとりでこの島に残るなら朝早く起きてちがう宿を探さなければ。それを思うと少しめんどくさかった。荷物を抱えて宿を廻るのはけっこう骨が折れる仕事だ。
それに来る時に買ったオープンチケットの事も気になっていた。
私の買ったチケットの船はこの島からは直接出ていないので、Kutaに戻るためには一旦隣のロンボク島に渡るか、ここに来る前に居たトラワンガン島に戻らないといけない。
それに船に乗るには前日に船会社のカウンターに直接行って予約をしないとダメだと言われていた。という事は、いずれにしてもロンボクかトラワンガンでもう一泊はしないといけなくなる。
明日朝早く起きて宿を探し、浜辺でのんびりしたとして夜は1人で食事をし、また船に乗ってちがう島に行き、そこでも一泊過ごしてやっとKutaに帰れる。
なんだかとっても面倒になってきた。
それほど自分はここで過ごしたいんだろうか?
日中の砂浜でたいして面白くもなくぼーっと海を眺めてる自分を想像してしまった。
けれど一方ではそもそもそうやって1人で過ごしてこれからの事を考えようと思ったんじゃなかったっけ?友達にくっいて廻る旅に意味あるの?となんだか中途半端な自分を情けなく思う。
パダンバイの港から船に乗って3日目。早くもホームシックならぬKutaシックにかかっているK織を横目に見ながら、私のあたまの中ではそんな2つの考えが行ったり来たりしていた。
次の朝、船会社の開く10時に間に合うようにK織は荷造りをはじめた。私も同時にスーツケースに荷物をつめ直し、2人で船会社のカウンターへ向かった。
船は11時に出発するという。K織はすぐさまチケットを申込み、船に乗るつもりで準備をしている。
昨日までは2人ともこれからどうしようという話だったが、あっという間に相方の行く末は決まってしまった。
私と言えば、、、もうこの時既に心細くなってきていた。
ひとりで今夜の宿を探しに行くか。。。
そして前の日の夜、実はオギちゃんにオープンチケットの話をすると、買った値段の半額以上では売れると言っていたのを思い出し、ためしに買い取れるか聞いてみた。
ウチのカウンターでは取り扱わないが、同じ船会社なら買い取るかも知れない。港にその船の会社の男がいるから行って聞いてみろ、と言われた。
船が出る時間も迫っている。それにしても急いで港に行って探した会社の男はどう見ても子供だった。英語もちゃんと通じない。
困っているとその側にいた、ガタイのいい悪顔のスティーブンセガール似のオヤジが話しかけてきた。
「このチケットでここからKutaに行く船に乗れる。明日12時に港に来い」
なんだか今まで聞いていた話とぜんぜん違うし、第一目つきが怪しかった。
念のためにチケットを買い取れるか聞いてみた。
買った時の5分の1の値段を提示しながら悪顔のスティーブンセガールが笑った。ぜったいアヤシイこの男。
「Okay」といい残し、やはり最初に行った船会社のカウンターに急いで戻った。こっちの兄ちゃんは実は昨夜のパーティーでナンパしてきた男の子の1人だったけれど、話してみるといい人そうだった。この人を信用してチケットを売り、代わりにこの会社のチケットを買い直した。
そう。
けっきょく悩んだ末に私の出した結論は、K織にくっついてKutaに戻るだった。
船に乗り込み、しばらく黙っていた私にK織が「どうしたの?」と聞いてきた。
「私って優柔不断やなと思って」思ってるままを告げると
「そうやな」と身もふたもない答えが返ってきた。
旅は自分を発見する場。
よく自分探しの旅にでると言うが、自分は探さなくてもはじめからそこにいる。
自分が本当は何者なのかを気づいてないだけなのである。
つづく
さて、それはさておき。
トイレである。
いきなりな話の展開であるけど、みんな着いて来れてるかな?
いぇ〜い!
言わずと知れた日本のトイレは世界水準でも高レベルにある。
暖かい便座、ウォシュレットの完備、高水圧高水流、高品質のトイレットペーパー、そもそもの清潔感。
最近ではドアを開けた瞬間に便座のフタが開いたり、用が終って立ち上がると同時に水が流れたり。
至れり尽くせり過ぎて、それはそれでどうなの?って思うときもあるくらいである。
立った瞬間に水が流れて、いやいや、まてまてちょっと
こっちのペースも考えないで勝手に流さないでくれないかな?
と、無用な怒りをトイレに感じたりする。
さて、そんな日本生活にどっぷり浸かったほとんど海外経験のないワタシVSインドネシアのトイレについて。
もちろん経験はないが、昨今の情報収集である程度の事は判っていたつもりでの渡航。けど判ってはいても、実際に使うのとは大違いなのだ。
まず、彼らは基本的には紙を使わない文化圏の人たちだ。
空港のトイレのような、近代的な公共の場所でも、トイレにはシャワーのようなホースが付いている。手持ちホース式ウォシュレット状態だ。終ったらそのホースで水を出して、洗浄する。
比較的に観光客が使うと考えられる場所では、ホースはあるが、トイレットペーパーとも併用出来るようになっている。
しかし少しそのエリアを外れると、そこにあるのはホースのみ。
持参の紙も水圧が弱く、詰まるので流せない。
バケツが置いてあったりする。
使用後の紙が無造作に山積みだったりする。
床が水浸しだったりする。ハンパなく。
便座に靴痕が、、、洋式便座の上に上がっているものと思われる。
けれどここまでは、、、
ネットの情報などでも想像できる範囲ではある。
もっとローカルな地方に行くと、、、
まずホースは姿を消しその代わりに水桶。
小さい風呂のようなものもある。そこに柄杓が浮いている。
その水は流水などではなく、いつからそこに溜めてあるのか、
皆目見当がつかない。
亀が住んでいても不思議じゃない謎の池の色をしてたりする。
ふと見ると、横の壁にはヤモリが歩いていたりする。
しかし全体的に暗いので、細部はよく見えない。
見えづらい箇所がいっそう恐怖心をあおる。
いっそ見えない方が自分のためである。
鍵は壊れていたり、最初からない事もある。
逆に一度、カフェでトイレに行きたくなりお店の人に場所を聞くと、店の外にあるからと言われ、しかもその人が同行してきた。
なぜなら、トイレに南京錠がかかっていて鍵を開けないと入れないから。
納屋のようなドアにかかってる南京錠を開けてもらって中に入る。
真っ暗な中に便座らしきものが、、、
彼はドアの外で番人のように待っている。
この店でもう1度トイレに行きたくなったら宿に帰るしかないな、と思った。
そうは言っても、せっかくの異文化に足を踏み入れてるのだ。
そういう違う文化を体験することこそ旅の醍醐味ではある。
郷に行っては郷に従え。虎穴に入らずんば、、(古っ)
すこし旅に慣れてきた頃、外出先でワタシは思い切ってこの手持ちホース式ウォシュレットを使ってみようと考えた。(さすがに亀の住む水桶は無理)
なにごともチャレンジしてみないと解らない。
さて、ホースを片手に持ち、女子なので(これでも)スカートを開いておもむろにノズルを押すと、すごい水圧で水が噴射!
ぎゃーという声と共に、下半身がびしょびしょに。
スカートもパンツもびしょびしょである。
大の大人になって雨でもないのに下半身びしょ濡れで外を歩くのはこれが初めてだ。
しかしそこはBali。あっというまに濡れた服は乾いてしまった。
しかも拭くだけじゃなく、洗っているんだからなんとなくさっぱりした気分にはなる。
次の日、ワタシはもう一度トライしてみた。
つまり、服を着たままの状態でいかにして衣服を濡らす事なく、ホース式ウォシュレットを使いこなすか。
リベンジだ。
今度は用心してかなりパンツを下げ、洋服はたくし上げ、水圧に注意しながら、、、、
ぎゃーーーーっ!
そして再び下半身がびしょびしょに。。。。
2戦2敗。
再び下半身のみ水浸しで通りを歩く事になった。
もしインドネシアの男性に嫁ぐ事になって、姑に教えを乞う事があるとすれば、このホース式ウォシュレットの使い方だろう。
トイレに入る時に一緒に入らせてもらって、どうやったらパンツを濡らさずに用を足せるのか、ぜひその一部始終を見学させてもらいたいと切に願う。
つづく
夜になり。
わたしとK織は満を持してフルムーンパーティーにでかけた。
街灯の全くない真っ暗な薮の中を、海岸通に向かって突き進む。
満月の夜なのだが、都会派(笑)の私たちには電気の明かりのない薮の中では道すら見えず、頼りになるのはiPhoneのライト機能のみ。
その暗闇を歩いていると、真横を時折自転車が猛スピードですり抜けていく。
もちろんライトも何も点いていない、真っ暗な中を猛スードの自転車に乗って走り行く真っ黒い人。
彼らはあのスピードで、この暗闇で周りが見えているのだ。
「ほえ〜〜」
生き物のとしての己の性能の悪さにしばし落ち込む。
そんなことはさておいて。
”ふるむーんぱーてー”である。
夕方街でリサーチしてきたK織に寄ると、海岸通のレゲエPubが今夜のパーティー会場のようだ。
その店に向かう途中、盛り上がる時間帯を待つのに海沿いの一軒のレストランに入った。 海を見ながら食事ができるように席が作ってあり、テーブルの上のキャンドルがロマンティックにゆれている。
食事は少し前に別のお店ですませたので、お腹はいっぱいだ。
申しわけに頼んだフレンチフライをつまみながら、ビンタンラージをゆっくり飲んで時間をつぶす。夜風が心地いい。
試しに飲み物を運んできた地元のウエイターに、今夜のパーティーの様子を聞いてみたら「友達は行くと言っていた」とか「あると思う」とか意外や小さな島のお祭りにしてはあやふやな答えで、果たして今日のパーティーはちゃんと盛り上がるのかと心配になってきた。
この事に限らず、インドネシアの人々はあまり好奇心旺盛ではないというか、知識や事柄に対してのある意味の欲を感じない人が多い。
聞いた事に関しても、知らない事は知らないという姿勢だ。それ以上に調べたり、他に聞きにいったりという人にもあまりお目にかからない。
そもそも、自分のごく身近な事柄にしかもともと興味がなさそうだ。
国民性のちがいなのかもしれない。
などどK織と無駄話をしつつ、11時を過ぎて頃合いになったので、例のPubに向かった。歩いていく道すがら、ドンドンという4つ打ち系ドラムのビートが聴こえてくる。
いい感じだ。K織の瞳も期待に輝いている。
店に入っていくとある程度の人だかりと照明、音楽。そのフロアで思い思いに踊る少数の観光客(主に欧米人)と地元の島の住人。
「なんか違う」
K織の言葉に頷くわたし。
スペイスバーではないのだから仕方ないけど、この島に来る前に散々見て楽しみにしていた、砂浜にそのまま立ち上がるサイケデリックな色とカタチのDJブースと松明の中で水着で踊るオシャレな人達のヴジュアルイメージ。そのニオイがどこにもない。
店内は風が吹きさらしで、フローリングの床に上に何本かのむき出しの丸太が、柱として屋根を支えているという感じ。
「湘南辺りの海の家」という風情だ。
「音楽は悪くないんやけどな」
昨日のトラワンガン島の店のバンドサウンドに比べたら、コチラはダンスビートが爆音で夜の海に響き渡っている。ちゃんとDJらしき人もいる。確かに踊れる音だ。古くさくもない。
なんとなくザンネンな風景の中で声をかけてくる島のオニイチャン達(コチラの人は本当に臆面もなくナンパしてくる)をかわしながら、適当な場所を確保してしばらく様子を見ていた。
前にも書いたが、ワタシは好奇心のみで今回のこの島のパーティ巡りプランに乗っかった人なので、もともと「いつもクラブで朝まで踊ってますぅ」的なカルチャーが自分の中にはない。(←しかもそもそもディスコ世代)
砂浜で4つ打ちビートで朝まで踊る、、、というより、海を見ながらぼーっとお茶を飲んで夜は早く寝る、、、というような「君子危うきに近寄らズー亀仙人ツアー」くらいが体力的にはちょうど良いのかもな。
少し離れた所で頼んだアルコールのグラスを片手に、酔っぱらって踊る人たちを傍観。厭世観。なんだかみんなすごいなーと感心する。
早く切り上げて帰ろかな。。。的な思いで、フローリングの床から外の海岸にでて砂浜に座って適当に注文したカクテルを飲みながら夜の海を眺めていた。
思ったほど星は出てないのだが、それでも闇の中の漆黒の空の色は日本では見た事のないほど濃厚で、ひとつひとつの星の光の瞬きを際立たせていた。
ふと見るとK織も店内からでて、波打ち際で月に向かって裸足て踊っている。
これはこれで良い夜だな、、と、夜の海の風に吹かれながら、アルコールで少しぼんやりした頭を醒ます。
しばらくして暗闇の中でK織が「オギちゃん!!!」と叫んだ。
どうやら夕方ひとりで島探検に出かけた時に知り合った、島の男のコのようだ。岡村隆史に似てて、いい人やでーと話していた。
たしかに岡村がボブマーリーのコスプレをしてさらにお猿度が増したらこんな感じかな?と思う。
オギちゃんはニコニコしながら近寄ってきて、話しかけてくる。
K織が「友達」とワタシの事を紹介して、しばらく3人で話すが、オギちゃんの英語らしき言葉はよく判らない。
ふんふんと頷いて聞きながら、どうやら判った事は
オギちゃんはサーファーである。
オギちゃんはオッサンに見えるが24歳である。
2歳のときからサーフィンをやっており、スポンサーが2人いてサーフィンの仕事でバリ島にも行った。
サーフィンはトゥルルルルである、簡単だ。
コモドドラゴンを飼っていて、明日来たら見せてあげる。(どこに?)
コモドドラゴンは危険だ。
でも僕がいれば大丈夫、トゥルルルルだから。
大きな波が来たらトゥルルルルだ。
とにかくすべてにおいて最後はトゥルルルルと言いながら、あとはジェスチャーなので、それなら初めからジェスチャーだけでええじゃないかと思うのだが、トゥルルルルは言いたいらしい。
オギちゃんが教えてくれた、浜辺に打ち上げられるプランクトンを見たくて波打ち際の砂を目を凝らしてじっと見る。
キラキラ光る砂の粒のようなものらしくて、波が引いてゆく一瞬に確かに砂の中に光るものが見える。
月が出てない夜は浜辺全体が夜空の星のようにキラキラ光っているんだとか。ロマンティックな光景である。
そんなオギちゃんは浜辺の流木に座ろうとすると砂は払いのけてくれるし、飲み物は買って来ようか?なにがいい?とやたら親切だし、キラキラした瞳でジッと見つめてくるし、コモドドラゴンを見せたいので明日また来てほしいというし(どこへ?)
K織がにやにやしながら「オギちゃんに気に入られてるで」と肘でつんつんしてくるし、、、、
オギちゃん
若干24歳。
岡村隆史寄りのボブマーリー。
ペット:コモドドラゴン。
う〜〜〜ん。(– –;)
どうする、俺。
つづく。
さて。
、、、、、時は夕暮れ。
、、、、、やっと着いた宿。
、、、、、荷物の重たさ。
、、、、、宿のおばちゃんとK織のニコニコ顔。。。
大人としての冷静な判断をもって諦めの境地に至ったワタシは、今晩一晩はガマンする事にしてこのやまんばの部屋で荷物を解いた。
とは言えあまり部屋の中には居たくないので、外のテラスに腰を下ろし、煙草を燻らす。
目の前には木々が生い茂り、それを眺めながらゆっくりと煙草を吸う穏やかな夕暮れ。風に吹かれながら縁側でぼーっとする老猫の気分ってこんな感じかも。
うんうん。まあ悪くない。
と半ば強引に納得しながらしばし黄昏れる。
しかしその穏やかなひと時が、だんだんとテラスの外灯に集まってくる虫たちによって驚愕の夜へと変っていく。
足下に集まるヤブ蚊に辟易しているうちに、蛾や黄金虫のような大きめの虫たちもテラスを飛び交うようになった。
こうなるともう黄昏れている場合ではない。
荷物の中から虫除けを取り出し、空中に散布。
K織も応戦して、強力虫除けを小屋中にまき散らす。
ここで私たちは野生の島の野生の昆虫に、無菌大好き弱小日本国から持っていった強力虫除けなんか、ぜんぜん歯が立たない事を思い知るのだ。
光のない国に一点の明かりを見つけた虫たちは、ハンパない勢いで群がってきて目の前を飛び回る。
そして、我々の必死の防虫駆除にもかかわらず、ついに小判大のゴキブリ様。。
降臨!!!
やまんば小屋に怯まなかった野生児のK織も、ゴキブリには弱いらしく気が狂ったように虫除けをゴキ様めがけて集中散布。
けれども当のゴキ様はまったく気にされていないご様子。
き、、、効かない。。。
私たちが頼りにしていた唯一の文明の武器も、この大自然の中ではオモチャの吹き矢くらいのショボイ飛び道具であった。
コウなったらしょうがない。集まってきている虫たちはテラス灯の光がお目当てなのだ。その明かりを消してしまえば、またどこかに行くだろう。。。
K織に電気のスィッチを消すように頼む。
と。。。その数秒後。
耳元をかすめる羽音。。。
そして。。
かつて経験したことのない感触。。。。
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!!!
電気をつけるとワタシの首元にゴキ様が降臨していたのだっ
た!!!!!!!!!!!!!
言葉なく声も出ずひたすらバタツくワタシ。
叫んだのはそれを観ていたK織の方だった。
猫屋敷。。テラスに逃げれば虫屋敷。
一句
つづく
この旅で一番気になっていたパーティー、それはギリ・アイル島にある
「Speace Bar」でのフルムーンパーティーだった。
ビーチにいきなり立ち上がった極彩色のキノコを思わせる、サイケなDJブース。焚き火から上がる火柱。その明かりの中で水着で踊る人たち。満月の夜。その写真の一遍を見るだけでもワクワクする。
ギリ・アイルの海岸へついたのは夕方。
今夜パーティーがあるなら、日が暮れるまでに島の反対側にある「Speace Bar」近くに宿を取りたかった。
チドモとは島での唯一の交通手段である、一頭立ての馬車のような乗り物だ。
タクシーの初乗りが50円のこの国で日本円にしてチドモの乗車料1000円弱はかなりな観光客値段の痛い出費だが、泥濘の悪路をコロコロのスーツケースを引いて1時間も歩く体力と時間がない。
クタなどの都会に比べると、観光のみで暮らしを建てている島の物価は高いのだ。うっかりしていると日本よりも高いものを買いそうになったりする。気をつけなければ。旅はまだまだ続く。
港の海岸通で待機しているチドモに話をつけて島の反対側まで行ってもらうように告げ、私たちは荷台に乗り込んだ。
デコレイトされたポニーも可愛い。この旅ではめずらしく観光客気分でご機嫌である。
「Speace Bar」の近くに行きたいと話すと、御者の男の子は「Speace Bar」はもう閉鎖されたと言う。
「ぎええええーーーー?????」
その言葉にK織が奇声を上げた。
この旅で1番楽しみにしていた「Spease Bar」がもう無いだなんて!!!!
「え?マジ?リアリー?マジマジーーーー?」
K織はうろたえて日本語と英語がごっちゃになっている。
「どっちにしろ、今日のパーティーは島の向こう側じゃなくて、こっち側だ」
男の子が言うには、島の北側(スペイスバー側)と南側(港側)は別々の曜日にパーティーをやっていて、今日は南サイドの日だと。
「じゃあ行ってもしょうがないじゃん!」
様々なネット情報やら旅のガイドブックが反乱している世の中だが、こういうローカルな場所の情報は、確かな事が何一つ出て来ない。
実際に、歩いてたった1時間足らずの島の北側のことを南側の現地の住民に聞いたって、よく知らないと答える。
しかたがないので、チドモに乗りながら急いで行き先を変えてもらい、男の子に近くで安い宿に連れて行ってくれと頼む。
そして、、、彼が連れて行ってくれた場所が、、、、
広い草むらに一角だけ住居がある。
住居といっても小屋の群れと言った方が妥当だ。
日本史の教科書に載っている、高床式住居を思い出してほしい。
私はこれでも、学生時代に山登りをしていたので山小屋には慣れている。
テントにも平気で寝るし、比較的アウトドア仕様に耐えられる。
ハズだった。。。
高床式住居のハシゴを上がって、枠が歪んで閉まり切らない木の扉を開けると、まだ日が落ちてないのにも関わらず薄暗がりの室内に、所々破れかかった虫除けの蚊帳がついたベッドがひとつ。
その蚊帳が野球場のネットのようなミドリ色なのだ。
「なんでミドリ色?もう少しマシな色があるやん、、?」
そのミドリ色を、点けても暗いままの裸電球がぼんやり照らしている。
まんが日本昔話に出てくる、やまんばの家のようだ。
その奥に、同じく閉まらないままの木のドアが見えた。
覗いてみるとシャワーとトイレが一緒になった土間のようなスペース。
やはり、小さい電球がひとつで中は防空壕のように暗い。
便器には便座がない。シャワーは木の柱に括り付けてあるホースに申しわけ程度の蛇口。
子供の頃、友達と探検した廃墟を思い出した。
夜逃げした一家の家の跡に野良猫が住みつき、猫屋敷と呼ばれていた家だった。
「絶対に夜トイレには行けない、ここはムリ」
バンガローのオバちゃんオーナーに、他を探しますと言うつもりで、土間から部屋に戻ると、K織が早口の英語ですでにオバちゃんと値段交渉を終えているところだった。
「一泊1500円で2人分。決まったよ」
と、K織がワタシをみてニッコリ笑った。
「りーあーりー?」(–0–;)
心の中でつぶやくワタシであった、、、、、
つづく
さて、話を島に戻す。
そもそもなぜワタシはギリ・トラワンガン島などに行ったのか?
もう少し正確に言えばワタシはK織の旅に便乗しただけなので、なぜK織はトラワンガン島くんだりに行きたかったのか?
答えはひとつ。
そこがパーティーアイランドだからである。
この一ヶ月前にパンガン島なるパーティーアイランドでフルムーンパーティーに参加し、すっかりご機嫌になったK織は、ことあるごとに島に行きたいとつぶやいていた。
そこで今回も、クタやウブドでのんびりスパと観光などと疲れた都会から羽を伸ばしにやってくる女子系な旅にはならずに、バックパックを背負って泥濘の道を歩く羽目になったのだった。
それなのに。。。
トラワンガン島についたその日がパーティーの日だったなんて。。。
ネットの情報でも確かな事は判らず、そのことを知らなかった私たちはついた当日の疲れもあってか夕方から部屋で眠りこけてしまった。
つまりパーティーアイランドにわざわざ出向いて、パーティーの夜にお部屋で寝ていたのでした。シンデレラも真っ青。
眠りこけたシンデレラの私たちが、その事を知ったのは翌朝起きてからだった。
がっかりするK織をなだめながら、昼間はとりあえず島巡りをした。
島の人に訊いてみると、土曜の夜がパーティだと決まってはいるが、その他の曜日も何だかのイベントはやっているとのことだった。
そこで、今夜こそと体力を温存しつつその夜のパーティーに臨んだのだった。
本当ならその夜もゆっくり眠りたかったワタシだが、K織に引きずられるように島一番の繁華街である港の周辺へ向かい、なかでも比較的人で賑わっているパブに入ってみた。
そこそこ盛り上がっている。
ステージではバンド演奏。踊る欧米人。みんな若い。
K織とワタシはとりあえず飲み物を買い、その辺の止まり木に腰をおろす。
「若いのぉ。。。」
ステージ前で踊り狂うオージーを見ながら、K織がつぶやく。
てか、アンタもまだ20代やん、、、と思ってK織の顔を見るとご機嫌ナナメなご様子。
彼女が求めていたのはクラブ系の4つ打ちリズムで、古くさいバンド演奏には興味がないようだ。
おまけに、真っ黒に焼けて大きい目のK織はインドネシアンに間違えられる事多数。カワイイ顔をしているので現地人にモテる。
ここでもやたらナンパ男に言い寄られる。
「めんどくさ〜っ!」
と言い放ち無視をきめこむK織嬢、帰りたいモードになってきたようだ。
どっちみちワタシは早くお部屋に帰ってゆっくりしたい。寄る年波と共に夜遊びは身体に応えるのだ。
それにしても殆どが20代前半だろうと思われる若者の中で、1人だけ鶏ガラのようなキンパツのオバちゃんが、叶姉妹のような全身キラキララメを塗りたくり、おっぱい見せ見せドレスで「トイレはどこ?」と聞いてきた。
教えてあげた女子トイレが満杯と見るや、迷わず男子トイレに向かう。中から出てきた男の子がビックリして悲鳴をあげたがおかまい無しにトイレに入った。
「スゲ〜。。。」
みんな呆気にとられていた。
年とって夜遊びしようと思うなら、あのくらいのバイタリティーがないと無理だな。。。。と妙な厭世観が。。。
しばらくライブを眺めていたが
「この島には求めているパーティはないっ!明日ギリ・アイルへ飛ぶ!!」
というK織のかけ声により、店を出て2人してバンガローに帰った。
よく朝ギリ・アイル島に行くために港に行くと、もう既に午前中の船は出てしまっていた。
しかたがないのでまた海岸沿いのレゲエバーでビンタンビールを呑み呑み時間をつぶす。
まあ、要するにぼーっとするしか昼間はする事がないのだよ。
時間が来て、ボートに乗り込む。
行きのボートと違い甲板はないローカルボート。
船の内側の側面がベンチになっているだけの、公園の池に浮かぶ2人乗りボートのでっかい盤だ。
背中は海、前も海、吹きさらしである。
天高く波も高く、ボートも揺れる。
波に乗って船が浮上したかと思えば、波と共に一気に滑り落ちる。
水が入って来ない方が不思議なくらいの傾きをくるんくるん繰り返しながらボートは進む!
背中から波を被って水浸しになってみんな大笑い。
ディズニーランドの100倍楽しい(行ったこと無いけどね)
それでなくとも、向かい側の白人の女の子は赤い顔をして宙を見ながらずっとニヤニヤしてる。どうやらマジックマッシュルームでイッちゃっ
てるみたいだ。
日本ではまず見ない光景だな〜
そうして水しぶきにキャーキャー言ってる間に、船はギリ・メノを通過してギリ・アイルに着いた。
さあ!
今夜こそフルムーンパーティー!
。。。。なのか?
つづく
思い出したらだんだん腹が立ってきたので、この勢いで続きを書くことにする。
そう。その日の夜の出来事。
めちゃくちゃ美味しいアヤムゴレンのお店でアヤムを食べたくなり、この夜に友達と”アヤムゴレン・プルンクン”に向かう。
*アヤムゴレンについては後日たっぷり紹介したいと思う。そのくらいの感動すべき食べ物である。
食べ終わり、まだ7時頃だった。
夜中にまた仲間で集まりレゲエバーに行く予定ではあったが、前の日のサーフィンの疲れを引きずっていたワタシはひとりホテルに帰って、夜中の集まりまで休む事にした。
考えたらこの時すでにサーフィンで肋骨折れてたしね。それでも夜中のレゲエバーには行くつもりの◯◯歳。お元気でなにより。(– –#)
で、タクシーを使う事にして、通りで拾う。
少し汚れた感じの濃紺のボディ。
バリで安全なタクシーは「ブルーバード」という会社だとガイドブックには載っていたが、ブルーにしては色が濃すぎるし、どちらにしても女1人で乗り込むのは初めてだ。
大丈夫かなと心配しつつも、現地の男友達であるMドゥンが運転手に行き先を説明してくれる。メーターも倒せと伝えてくれた。
(はじめに言っとかないとそのまま発進され、タクシー料金が運転手の言い値になったりする)
そして車は走り出した。
まず、開口一発「あの男(Mドゥン)はお前の彼氏か?」と聞いてくる運転手。
疲れていたので何も考えずに「違う。友達の彼氏だ」と答えるワタシ。
「じゃ、お前の彼氏はホテルで待ってるのか?」と運転手。
「待ってない」とワタシ。
「日本人か。日本に彼氏がいるのか?」と。
めんどくさいので、ずっと「No!」とだけ答えていたら、
「夜の海が見たくないか?海岸通の道を走ろうか?」
と振り返って微笑む運転手。明らかに何かを企んでいる顔。
なんでやね〜〜ん????!!!!
とココロの中心で関西弁を叫ぶ。
マジかー?しまったー!
ホテルにゴリゴリのヤクザの彼氏が待っていると答えたらよかった。。
が、時すでに遅し。。。
「No!No! ハリーアップ トゥ ホテル!」
と語気荒めに言うと
「そうか。。急いでいるのか。。」と残念そうに言われ、とりあえず夜の海岸ドライブは免れたようだった。
けれど、どんどん人通りの少ない暗い道の方に入っていくタクシー。
こっちに来る前にネットや友達から聞いた危ない目にあった日本人観光客の話を思い出す。
ワタシは向こうで買ったサムスンの携帯電話を取り出し、無意味にピコピコとボタンを押して変な事したら友達呼ぶわよ的ポーズを取ったり、ここはレギャン通りか?この道はベモコナの近くか?と、オノボリサンじゃないのよ道知ってるのよ的アピールをしてみたりして応戦していた。
その甲斐あってかどうなのか、車は無事ホテルに着いた。
さて、問題はそこからだ。
「300円ください」←なぜかここだけ日本語。
運転手は振り返って言う。
「はてな?」である。
メーターは2490ルピア(まあたぶん200円強)
「なんで?メーターは2490でしょ?」
とワタシ。
「イイじゃないですか〜300円くださいよ〜」←やけに使い慣れたナメきった日本語
さっきまでの怖がらされた思いがこのバカにしたような日本語の口調で一気に蘇ってきた。この時点で自分の血圧が上がってきているのが自分で判る。
「キャン ユー シー ザ メーター?」とわざとゆっくり聞いてみた。
「イエス」とちょっとかしこまった様子で答える運転手。
「なんで300円払わなアカンの?ちゃんとお釣払ってね」
と50000ルピア札(しかなかった)を出したワタシに
「釣はな〜い」と悪びれず言い放つ運転手。
あたまの中で「ブチッ!」という音がした。
「ワット
ユア
ネイム?」
次にワタシの口から出たのはコレだった。
もはや無敵だ。
「ヤワン」とオドオドしながら答える運転手。
「ステイ ヒヤ ヤワン!!!!!」
車を降りてホテルのすぐ横にあるコンビニに飛び込み、10ルピア単位までお金を崩すと、車に戻ってヤワンにキッチリ2490ルピアを渡す。
「なにか問題あるか?」と聞くワタシに
「ない」とちいさな声で答えるヤワン
怒りの中ホテルの部屋に戻りつつ振り返ると、ヤワンが後部座席のドアを閉めにコソコソと運転席から降りてくる姿が見えた。(自動ドアじゃないしね)
叱られた子供のようにショボクレた後ろ姿に
「アホか!」
とバリのホテルのプールサイドで小さく叫ぶワタシであった。
つづく
ここまで順を追って書いてきたが、記憶が鮮明なうちに少し先行して違う話を。
これは、島から再びKutaへ戻って来てからのできごとだ。
その日わたしは2度もダマされかけた。
一度目は両替。
バリ島で現地のお金が足りなくなると、街の両替屋に行ってその都度両替していた。両替屋は至る所にあり、店によって若干レートが異なる。
前日に見たホテルの近くの両替屋のレートが結構高かったのを思い出し、その店にいってみた。
そこは裏通りにあり、多少アヤシイ雰囲気だったが、レートは(YEN=119)とかなり高めだ。(その週のだいたいの相場が(114)前後。)ただ、レートが高めの店は手数料を取られたりして結局は損だと聞いていた。
念のためにと表通りの別の両替屋も覗いてみたら、ほぼ同じレートで手数料もかからないと言う。けれどすべて200ルピア札での両替と言われ、あわてて断った。一万円の両替をしたら500枚以上のお札と交換する事になってしまう。財布に入りきらんやん。てかその前に支払う時にめっちゃややこしいし。
そこで先ほどの裏通りの店に戻り、レートと手数料無しの確認をして、お札も50000ルピアでの交換と聞き安心、こちらで換える事にした。(今思えばここで安心したのが間違いだった)
さて、50000ルピアはほぼ500円である。
両替すると言うと、初め1人だった店番の男が別の男を呼び、なぜだか他にも数人の男が近寄って来た。
なんとなく囲まれる感じで、お札の確認がはじまった。
とてもアヤシイ。(− −#)
50000ルピアを2枚一組にして、なぜか両替屋の男は「ワン、トゥ、スリー、ワン、トゥ、スリー」と数える。そしてすごい早業。
いやいや、ややこしいやん?(− −#)
ワン、トゥ、スリーが3回とワンを1回で10なのは判るよ。
でもちゃんと、4、5、6も数えてよ。
仕方がないので、彼が数える時は「いちにーさんしーごーろくしちはちくーじゅう」と日本語で上からかぶせといた。
何回かお互いに確認し合い、自分も数えて一緒に来たK織も数える。
「あってる?」
「あってるな」
今思えばこれももよくなかった。
友達も確認してると思えばそれだけで安心してしまう。
お札を交換し、店を出て歩き出したところで、なにか腑に落ちない気がして財布のお札を数える。
ん?おかしくない?50000ルピア札が13枚しかない。。。
「1万円を500円に両替だと20枚はあるはずよね?」
でもあってたよね???
K織と首を傾げながら、それでもやっぱり足りないのは間違いない。
「騙されてる!」
店を出て何mか歩いたところだったので、すぐさま引き返して店の中に入っていった。
「ヘーイ!アーユーチーティング!!!!」
騙しただろう!とすごい剣幕で怒鳴り込んだものだから、向こうもあわてている。
「13枚しかない!」
と50000ルピアを見せると
「そんなはずは。。。」としどろもどろ。
けど、結局はじゃあその13枚戻してくれたら1万円札返すよ。
という事になった。初めから両替はなし。両者問題無しだと。
考えたらそれもおかしな話であるけれど。
13枚は7千円足らずだ。それを交換するんだから。
何が何でもダマそうというよりは、見つからなければラッキーくらいの感覚なのかも知れない。
怒り狂った日本人相手に最後まで食い下がる気はないらしい。
そうして、安全な表通りの両替屋に行って、無事両替は済ます事にした。多少レートが悪くてもやはり海外では安全第一だと学んだ。
学んだはずなのだが。。。。
この夜再び事件は起きたのである。
つづく
「Gili Life」は島の繁華街(というか港の周辺に集まる土産物屋やレストラン街)を少し外れた、比較的静かな場所にあった。
昨日まで泊まっていたKutaのホテルから比べると、山小屋?いや海小屋か、、、という長屋のような安宿だ。
宿に着くとさっそくシャワーが出る事を確認。(出ない事も多いらしい)はじめから聞いていたがもちろんお湯は出ない。
エアコンも無し。あるのは扇風機。
シンプルな四角い部屋にダブルベッドがひとつという作り。
こういう旅に慣れているK織に言わすと綺麗すぎる(笑)くらいらしいが、わたしは初挑戦的。
こう見えても意外と神経質なので気構えが必要な感じだ。
けれど今回の旅の滞在期間を考えると費用は少しでも押さえたいので、ネットで探せるギリギリの価格、1部屋1500円程度(2人で割ると1人一泊750円)はとてもありがたい。これで朝食も付いている。
Gili Lifeは庭に面してそういう部屋がいく棟か並んでいる。
入り口にはテラスがあり、テーブルとイスが置いてある。
私はそのテラスのイスに腰をかけてお茶を飲んだりぼーっと煙草を吸うのが好きだった。
Gili Life のすぐ近くにはモスクがあった。
朝な夕なにコーランのお祈りの音が聴こえ、ここは日本じゃないんだなぁと、テラスに座って感慨深いひと時を過ごす。
そうしているとたまにアジがやってきて、声をかけてくる。アジはこの宿の主人で家族で同じ棟に住んでいる。
アタマにちょこんと帽子のようなものを被り、ドクターの白衣のようなイスラムの衣装を着ている。敬虔なイスラム教徒なのだろう。
歳はいくつなのかわからないが、お爺さんにもおじさんにも見える。もしかしたら意外に若いのかもしれない。
けれど思慮と老成を感じさせる、深い眼差しをしていた。
わたしはアジがなんとなく好きだった。
バリ島に来てからというもの、道を歩いても、お店に入ってもとにかくやたらと見知らぬ現地の男性に声を掛けられる。
物を売りたい一心なのは判るが、臆面も無く話しかけて来られる馴れ馴れしさに、少し辟易としていたせいもあるかもしれない。アジには彼らには無い、奥ゆかしさと、礼儀正しさがあった。
アジは私がテラスにひとりで座っていると退屈してると思うのか、遠慮がちに近づいて来て、たわいもない話をひとことふたことを拙い英語ではなす。当然こちらも拙い英語なので、解ったような解らないような、けれどシンプルに優しさの伝わる会話になる。
部屋にムカデが出て、私たちが大騒ぎしていると、なんだそんなことかと素足でムカデを踏みつぶそうとする。
それを見ていた私たちはもっと大声を出すので、笑いながらモップを持って来て外に出してくれたり。
そういえば、「グラスボートに乗るか?ウミガメが見れるぞ」と言いに来て、翌日乗らないと返事をしたら少しがっかりしていた。斡旋するとアジにもマージンが入るのだろう。
アジはオーナーではあるけれども、その上に元締めがいて、売り上げを搾取されると、少し嘆きながら言っていた。
かわいそうな事をしたかもしれない。
あるときアジと話しているとへんな音が聴こえて来て、なにかと訪ねると「マパティ」だと言って空を指差す。
さっきから黒い小鳥が群れをなして飛んでいた。
それにしてもその音は鳥たちが出しているようにはとても思えないほどの、不思議に宗教的な共鳴音なのだ。
アジが言うには、それは声ではなくてノドの奥にある「ベル」で音を出してそれが共鳴しているのだという。
マパティの音、夕方の風、コーラン。
今思えばよく手入れされた庭を見ながら、Gili Lifeという安宿のテラスで過ごすひと時はとても優雅だった。
つづく
*写真はGili Lifeの朝食。このバナナパンケーキがカリッとしててめちゃウマ!
帰りのファストボートのチケットを手に入れた私は少し安心した。
これでとりあえずはバリ島まで帰れるし、そこから飛行機に乗れば日本まで帰れる。(来たばっかりなのに帰る心配ばかりしている、、ヘタレである)
それから車はサクサクと港に着いた。さっそくボートに乗り込む。
このボートはトラワンガン島に寄った後、ロンボク島に行くボートのようだ。甲板に積まれた荷物の3分の2はロンボク島に行く人たちのものであった。
ちなみにこれまでの日程で日本人に会う事は皆無。ここでも乗り込む乗客はほぼ欧州人、わずかに中国系と思われる人々、あとはインドネシア人の乗務員。
船に乗り込んで港を出発して直ぐに、何人かが船室の席を立って船の外側に通じるドアから出て行ったまま帰って来ない。
あーこりゃ甲板に出られるな?と察して同じドアから外に出てみた。すでに高速で走り出しているボートは水面を滑りながら激しく水しぶきを上げている。
落ちたらまず助からないなーーと思いながらも側面ギリギリを歩きながら甲板に上がりたいアピールをすると、乗務員が手を添えて梯子を登らしてくれた。(一応女子なのだ)
すでに甲板にいる人たちは思い思いに座ったり寝ころんだりしている。私とK織も適当なスペースを見つけて船の端に腰をかけ、サンダルを脱いで水面に足を垂らす。
めちゃめちゃ気持ちいいーー!
風がすごい勢いで顔や髪をすり抜けて行く。
やがて視界の中から陸地が消え、前もうしろも海になった。
遠くでイルカも並走してる。
そのうちにボートはトラワンガン島へ。
旅が終わった今も記憶に残る気持ちのいい2時間半だった。
港というか、、、ボートはそのまま浜辺に突っ込むカタチで島に到着。降りる場所は波打ち際である。
足下を波に巻かれながら、ボートから降り浜辺に降ろされている自分の荷物を確認する。
そしてこの時点で自分がバックの選択を間違えたことに気づく。浜辺に積まれている荷物は私のを覗いて100%バックパック。
コロコロの付いたスーツケースなんてだれも持って来てない。
そう。ここはバックパッカーの島。
あるのは砂浜と石がゴロゴロしている泥濘の道のみ。
道路を渡るのは自転車かチドモと呼ばれる一頭立ての小さい馬車のような乗り物だけ。もちろん車もない。
そんなところで、ゴロゴロとスーツケースを引きずって歩くわたし。遠足でみんながジャージなのに1人だけまちがって制服を着て来たみたいな恥ずかしさだ。
実は前の晩パッキッングしながらかなり迷ってスーツケースにしたのに。。。
一応島に行く事は判っていたので、バリ島に来る際に日本からザックを持って来てはいた。
けれど、そのザックの容量は30ℓほどと小ぶりだったため、滞在日数が決まってない旅の荷物を詰めるには少し無理があると判断。悩んだ末、日本から持って来た荷物の半分程度をスーツケースに詰め、残りをトラワンガン島に渡る前にザックごとプラマ社に預けて来た。
その結果、止むなく雨上がりの泥濘をスーツケースをガタガタ云わせながら、我々は予約していたバンガロー「Gili Life」を目指して進むのだった。
*ちなみに、プラマ社というのはKutaのレギャン通りにある旅行会社のひとつ。ボートのチケットの手配だけでなく、荷物の預かりもしてくれる(費用は一週間で100円程度)島に渡るならぜひオススメ。
つづく
"Balian"に肩こりを治してもらい(そんな目的で行ったわけではないけれど)スッキリして、翌朝予定どおり島に渡る事にした。
と、いってもトラブル続きと予告していた通り、ロストバゲッジに続きまたまた事件は現場で起こった。
渡るつもりの島は「ギリ・トラワンガン島」というとても小さい島である。
はじめの予定では、バリ島の隣、比較的大きなロンボク島というところに渡って一泊、それからボートでギリトラワンガン島に行くつもりだった。
しかしまさかのロストバゲッジのおかげで予定を変え、ロンボクを通過せず、そのままバリ島から一気にギリトラワンガンに渡る事を決めていたその前日の夜中。。。。
一緒に行くはずの友達のK織がなかなかホテルに戻って来なかった。こちらに来てできた友達との別れを惜しんでるんだろうな。。。とさほど心配していなかったが、それにしても遅かった。
そもそもこの計画を初めに決めたのはK織である。彼女はこの2ヶ月前にタイに渡り、パンガン島という世界で一番有名なパーティアイランドで過ごした楽しい日々にすっかり魅せられ、今回のトラワンガン島行きを決めたのだった。
ちょうど仕事を辞めて、どこかに行きたしと思ったわたしがその計画に乗っかったのだ。
その深夜、もっと言えば朝方、K織は帰って来た。
もう迎えの車がやってくる時刻。
なかなか起きて準備しないK織に、もしかしてあまりに地元友達(笑)と別れるのが寂しくて行きたくなくなったんじゃ、、、???と思っていた矢先、横になったままのK織がつぶやいた。
「わたし行けなくなった」
やっぱり離れるのさみしーんやん!(わたしのココロの声)
と思ったが、K織の次のつぶやきは
「昨日クレジットカード擦られた」だった。
なんじゃとーーー???
K織が言うには、深夜に友達とご飯を食べたワルン(現地の人が食べる屋台のようなところ)で、たぶんポーチのファスナーが開いていて擦られたんじゃないか。。。と。
つまり身体に着けてたまま盗られたという事ね。
おお恐るべしインドネシア。
わたしも来たばかりで2週間、K織は後3週間この地で過ごさなければならない。所持金にも限度がある。
下手に動けばお金もかかるし後が困る。
ここはおとなしくKutaに滞在すべきか。。。
でもこの旅の目的は島巡り。。。
チケットは買っちゃったし、迎えの車はもうすぐ来る。
自分だけ行くのも有りだが、なんとなくオモシロそうというだけでK織の島行きに乗っかったわたし。1人で行くほどその島に思い入れもない。。。
ううーーんと悩んでいたところ、明日日本に帰る予定のもうひとりの友達、K子が多めに現金を持って来てるから貸せるよという。そこで一気に元気を取り戻し、いきなり準備に取りかかるK織であった。ああ、よかった。ありがとうK子さま。
さて、俄然やる気になった私たちは迎えの車(乗り合い自動車みたいなもの)に乗り込みいざ出発。ボートが出るパダンバイの港へ。
1時間半ほど山道を走り、途中手続きのためか旅行社の事務所のようなところへ寄る。
ここで、帰りのファストボートのオープンチケットを勧められる。
今買えば割引できるという。
行きのチケットは5000円くらいを4500円で割引購入。
帰りはどうするか決めていなかったので、現地に着いてからと思って買っていなかった。
同行のK織とは滞在期間が違うので、帰りは別行動になる可能性が高い。現地で買うローカルボートはかなり安いが、時間もかかってしかも危ない目にあうかもと聞いていた。
そもそも1人で船会社を探して拙い英語力でボートのチケットが買えるのかしら?騙されるかも。。。?という不安。
けれど先に決めてしまう事でこの旅のメインテーマである「行ってみて気分で考える自由度」が制限される気もする。
さあどうする?と車のドライバーや旅行会社の受付嬢が無言で詰め寄る中。。。
うううう。。。(ここでこんな事をめっちゃ悩む、優柔不断な自分を発見)
2、3分悩んで買う事にする。(ここで、自由より安全を選ぶヘタレな自分を発見)
旅は自分への発見である。
後にこの決断をやっぱり後悔する事になるのだが、この時のわたしはまだそれを知らない。。。
つづく
2月にBaliに渡った。2度目の海外。
初めての海外旅行はすべて友達にセッティングしてもらいお客さんのような旅になった。
今度は自分でチケットを取るところから始めて、渡航も独り。
ありがちなツアーとかに申し込むことにはなぜだかならない。
とはいえ現地で友達は待ってるし、こっちではイロイロ分らないことを聞きまくり助けてもらいながらの旅である。
行き先はインドネシア バリ島。
2度目にしていきなり2週間の滞在。
今気がついたけどさっきから”2”という数字ばかり入力しているわ。なにか意味あるのか知らん?笑
さて、それにしてもトラブル続きの旅であった。
先ず着いた空港でのロストバゲッジ。
荷物着いてまへんの巻。
なにしろ判らないからいつまでも待つ。
ぐるぐる回る他人のスーツケースを見ながらぐるぐるぐる。
気づいた時には何人かの日本人観光客とおぼしき人たちが、列を作って調書のようなものを取られていた。
「荷物のことですか?」と日本語で聞くと
「関空からの分だけ届いてないようですよ」と教えてくれた。
そんなことあるのね〜と思いながら、緩やかに談笑しながら悪びれもせずに必要事項を聞き取る職員に、お国柄の違いを感じる。
まあ、荷物がちゃんと届きさえすればいいだけの話なのだけれど。明日の朝飛行機で別の島に行く予定もあるし、ここはめいいっぱい困ったちゃん顔を作り、「明日届かないと本当に本当に困るのだ」とアピールしておいた。
而して、、、、まあ予定通りには届かないんだけどね。これが。
けれど、結局一緒に行く友達がバリ島内でのんびり過ごそうと提案してくれたので、ありがたく予定変更。
朝はホテルのプールサイドでのんびりお茶を飲み、それからUbudの街へ。
タクシーを半日チャーターして、1時間半ほどかけてKutaから少し北のUbudはカワイイお店とオシャレなカフェが並ぶ、いわゆるオシャレスポットだ。
我々の目的は、有名な段々畑(ライステラス)でお茶を飲むということくらいだったので、少しの買い物とアートマーケット(単なるお土産物やさんだった)や、ドライバーのヤワンに連れて行ってもらった”Balian(呪術師)"に会いにいったり、寄り道の多いドライブであった。
"Balian"
日本にはいないけれど未開の土地とかには必ずいる、お医者さんと宗教家と占い師が一緒になったような。。。とりあえず何か困ったことがあったら村人が行って相談するカウンセラー的な存在。。。のようである。
ちなみにドライバーのヤワンは数日前に体調が悪くなったので行って来たと言っていた。
恋愛相談も出来るらしい。
浮気した彼氏に、呪いのまじないとかも掛けてくれるらしいので心当たりのある方は要注意。(− −)
して、私たちの出会った”Balian"はとてもバリアンらしいバリアンで、人里離れた林の中の家に住み、着くとさっそく中庭のようなところで呪術を施行してくれた。
「診てやるからそこに寝ろ」ってな感じのことを言ったとおもう。(よく判らない)
そしてアタマや耳のツボのようなところを思いっきりぐりぐりされる。
悲鳴が出るほど痛い。
右の後頭部ぐりぐり「ぎゃー!」
左の後頭部ぐりぐり「あれ?」
右の耳の下ぐりぐり「ぎゃー!」
左の耳の下ぐりぐり「ん?」
寝ながら足の指や、手の指がどこに繋がってるかを聞きながら、やっぱり右「ぎゃー!」左「んん?」
てことで相対的に右側が悪いらしい。(そりゃそうね。この流れなら)確かに昔事故で右の腰を打ってたり、なにかと右側にトラブルは多いので少し信じる。
あと、女性ホルモンが弱って来ているらしい。
診断が終り、その後は治療に入る。
ここが占い師とは違うところかも。
治療は何かのおまじないを唱えながら、木の棒のようなもので身体の上をくるくる、ちょんちょん、くるくる、ちょんちょんとつつく感じ。
私は目を閉じて横になっているので全容は判らないけど、一緒に見ていた友達が言うには、かなりセクハラゾーン(笑)ちょんちょんしていたとの事。女性ホルモン足りないしね。笑
それにしても面白い体験であった。
次回バリに行った時はまた是非訪れたいスポットである。
あ、余談ですがその後肩こりはすっかり治りました。笑
肩こり治療にはオススメです。
ホルモンは足りてるのか判らないけど、今のところ不自由はしていないのでよしとしよう。
そんなこんなで、バリ島の楽しい一日目はライステラスで見る夕陽によって暮れていったのである。
つづく
変って行くもの、替えて行くこと。
今年は変化の年になりそう。
未知の世界に踏み分け入ること。
「私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。」
尊敬する画家の堀文子さんの言葉。
彼女は幻の花 青い芥子を求めて81歳でヒマラヤに登った。
自分の目で見てそれを描きたいと切望したからだ。
そして、実際に登頂に成功。
青い芥子の花は「ブルーポピー」という作品になった。
未知で困難な方。
81歳になったときに、自分がその方向に向かえるのか。
それは永遠の課題であり、自問自答の設問でもある。
享楽的な自分の性格を知っているだけに、自分には無理かも知れないと思う。
それでも、そうありたいとせめて願う。
2014 元旦
2013,12,19 「真冬の夜の夢」@UrBANGILD
無事終りました。
終ってしまったライブの話を
今さら、書こうと思っても名文が浮かばない。
よく言われることですが、その場のその音、空気、匂い、感じたことを誰かに伝えようとしても、それはやはりその場にいないと解らないと思ってしまう。
ただただ、怪我もなく、事故もなく、無事終れたことに感謝。
無理な出演依頼を快く引き受け、本当にいい演奏をしてくださった
kajaさんはじめJammin'のメンバーの皆様
東京から車で朝早くから出発して、そのままリハ、本番と、体力気力でのりきってくれた中山八大率いる808(ALL STARS)のみんな
with 特別出演の清水興さん
いつも「ええよええよ」とお願いを聞いてくれるASIA SunRise
そして来て下さったお客様が楽しそうにしていてくれたことが、何より嬉しかったです。
今回の出演メンバーでは、たまたまハチさん(808 Vo)の古くからの知り合いで今回808で特別出演、NANIWA EXPのベーシスト清水興さんとKajaさんもお知り合いだったり、ハチさんはKajaさんがきっかけでBOB好きになってかれこれ25年だったり、808のドラムの岳ちゃんは昔、Kajaさんのサポートしてたり、そういえばいつもなにかと助けてくれる、UrBANGILDのブッキングマネージャーRyotaroさんも昔お世話になったとかで清水さんに会うのを楽しみにしていたな。
偶然なのか必然なのかの繋がりで、始まる前から楽しくなりそうな予感はしてたのだけど。
そして「真冬の夜の夢〜Kaja & Jammin'から 808(ALL STARS)へ〜」
予感どおり真冬に汗をかく熱気と笑顔のライブになりました。
私はよくやるんだけど、ライブに行って後ろや前を振り返り、ニコニコしているお客さんの顔を眺めるのが好きなのです。
もちろんミュージシャンもなんだけど、聴いてる人が楽しんでるのを見てるが楽しいの。
今回もみんなが楽しかったと言ってくれたのがなにより嬉しかった。
拙いシロウト企画を細々と続けている理由は、これが見たかったからかもしれないな。
と思い、あえてブレブレの画像アップ
*ライブの写真は後日galleryにて
胃が痛い。
このところ続けてお酒を呑んでいるせいかもしれない。
すごく呑む人だとよく誤解されるが、私はそんなにお酒が呑めない。
体質的にアルコールアレルギーなの。
ビールをコップに半分飲んでも顔も身体も真っ赤になるのは、酔っぱらっているわけじゃなくて、単にアレルギー反応を起こしているに過ぎないのだ。
そういうわけで、若い頃からアルコールを呑むと、一緒に呑んでる人から必ず「もう止めといたら?真っ赤だよ」
と止めが入る。
いやいやいやいや。
目の前の君よりよっぽど正気だから。
とは言っても何しろ外見は酔っぱらいのソレなので、聞き入れてはもらえず、一気呑み!、とか、ボトルを1人で空ける!とかの若気の至りの無謀な挑戦からはなにかと遠ざけられてきたのだった。
おかげで、飲酒料は増えず武勇伝も語れず。。。
最近は1人で呑むことも増えたので、誰にも止められないのをいいことにワインをボトル半分くらいは空けたりするようになった。(ちょっと、盛ってます)
で、結局、、、最近ではアルコールを呑むと胃が痛くなるということに。。。。
アレルギーだけじゃなくて胃が弱かったのね。
早く気づくべきだった。。。。
昔お酒のみの上司が「二日酔いの朝は味噌汁だよ」
と言っていたのを思い出し、二日酔いではないけれど、胃の調子を整えるべく、真夜中に味噌汁を作る。
キャベツと玉葱と玉子。
生姜も加えてみました。
飲んでホット一息。
胃の痛みも治まった。不思議。
という間に窓の外が明るい。
もう朝なのね。
真夜中の味噌汁が朝の味噌汁に。
普通だわ。
さて、12月。
ここに来てHPを作ることにした。
なんとなく今年始めたことが幾つか溜まってきた。
カタチとココロの整理がしたくなったのかしら?
ホントになんとはなしに。
思えばイベントのオーガナイズなんてやったことないくせに、無謀にも始めてみたり。フライヤーなんて作ってみたり
今年生まれたわけでもないので、startというより「岐路」という感じ。
ちがう流れに入ったみたいに。
とりあえず、そんな今年も終りに近づいて、もう少しで今年最後の自己企画イベント日も近い。
もう何年も前に描いていた絵も出てきた。
わりと大きなデザインコンペに出品した作品で、思い入れがあったからじゃなくて単に大きくて捨てづらかったために残っていたもの。
ゴミ袋に入りきらずに。
仕事で絵を描いていた時は、自分の作ったモノにあまりにも執着がなくて、すべて捨ててしまった。自分で捨ててはないけれど、幾つかもらった賞の作品は、副賞の代わりに主催者の持ち物になった。
捨ててしまうとはじめから無かったのとほぼ等しい。
ほぼというのは、全くないのと比べると幾つかの断片的記憶と記録が残っているからだ。コンペの目録に名前が載っていたり、へんな会社のHPに使われていたり。
そんな、断片を少しづつ繋ぎ合わせて、新しい岐路に立ち、これから未知の旅に向かおうとしている。繋がるかしら、と半信半疑で。
もっともっとちがう激流に流されていく心づもりで。
ご隠居するにはまだ早いしね。笑
あ、そうそ。
煙草も今年始めました。。。どうでもいいですが。笑
オープニングスタッフと言うのは比較的によく耳にすると思うが、クロージングスタッフというのは聞いたことが無い。
カタカナで書くと洋服のクロージングとも取れるので、アパレル系スタッフとも読めるかな?
それとは違って、終わりを引き受けるスタッフと理解して欲しい。
兎も角、4.5ヶ月の仕事が終わった。
あるメーカーのひとつの事業部(店舗)が終わるに当たって、その終わり4.5ヶ月を静かに美しく終わらせて行くという仕事を引き受けたのは昨年の紅葉をこれから迎えるという頃。
長年、働いていた古参のスタッフが事業部の撤退を知って急遽職場を去る事を決意、その後釜に私が入った形になる。
形態は違うが、ひとり店長のような仕事。
そのために雇われ、2日で引き継ぎ、その後は手探りでの業務になった。
まあ、そんな状況はもう終わったことなので過ぎれは楽しい戸惑いの日々だったかなと思う。
店舗運営の要である、売り上げのアップもノルマもなく、ただひたすらに完了して行く商品構成でどうにか店舗を賄わなければいけない。
クロージングセールなどはしないし、もちろんお客様にアナウンスはしない。
通常と同じ流れで販売しながらの撤退。なので当然品薄、欠品によるご意見を頂戴する。だが、上からの御達しでクローズは口外厳禁だったため、その件はひたすらに謝るしかない。
その中でヴィジュアルを工夫しながら、在庫の有るものをpick up納品しながら、売り上げも前年比で120%を達成。
在庫が引き継ぎ時から3分の1に減りながらしにては大健闘だったと我ながら思う。
ここだけちょっと達成感なので(クロージングブランドに置いては余り問題にされないので少しだけ褒めさせて。笑)
そして、個人的な禊ぎをこの仕事に感じた日々でもあった。
私は10年ほど前にある外資系ブランドショップの店長していた。
本国では押しも押されもせぬブランドではあるけれど、日本のマーケットとは反りが合わずに終わりゆくブランドではあった。
前任者から引き継いだ時にはもうこれ以上下がりようがないとまで言われた売り上げが(全盛期から見ると)更に下がって行く中で、四苦八苦しながら戦っていた。
いろんな問題があった。
日本マーケットととのいろいろなミスマッチ。
価格、生活形態、商品数、コレクションラインだったため、それらを日本向けに再構築するというのも無理。コレクションラインは本国と同じものを売るのが原則なのだ。
売り上げ不足からくるスタッフの減少、何より店舗ビル側の外資系ブランドの契約事項に対する無知、ひとりのデザイナーのこだわりに対する尊厳の無視。
ユーザーに向けて出したい全力がその店舗側との交渉にエネルギーを吸い取られて、もはやボロボロになった3年目に私は白旗を挙げた。
辞めたのである。
愛する仕事であった為に、最後の断末魔を聞きたくなかった。
もちろん後任も自分で探して半年間、待ったをかけられての両者合意の上での退職ではあったが、気持ち的には「逃げた」というのが心情。
そう、最後の断末魔を聴いてあげられなかった想いはずっと心の何処かで燻っていた。
今回同じビルでのこの仕事のオファーを受けた時に、頭に浮かんだのは「因果応報」の文字。
人生の何処かでやり残したことは、いづれまた巡って来るなぁと思いながらの数ヶ月間だった。
なので、辞めた古参のスタッフの心情もよく分かる。愛があるからこそ、スクラップになった姿を見てられないという気持ち。
幸い、今回は初めてのブランドで、ハッキリ言って長年の思い入れも無かったので割り方事務的に作業が進めることができた。
クロージングスタッフというのがもし、一般的に広まるならそれはとても合理的なものごとの終らせ方かも知れないね。
全てにおいての冷徹な判断と思い切りのよさが終りゆくモノゴトには必要だと感じた出来事でした。
✴︎写真と内容は関連ありません
最近やたらボチボチとかゆっくりとか言いだしてる自分。
歳をとったのだ。
「がんばらない」
というのが合言葉になって久しい。
がんばりすぎてパンクする自分を知っているから。
経験値というのは大事ではあるけれど、行き過ぎると予測変換にすぐ「がんばらない」と出てくる。
物を床に落として拾うんだって、ちょっと一回間があくもんね。
「いきなりしゃがむと骨折るかもしらん」
ふと、しゃがんだ瞬間にボキッと鈍い音がする予想図が浮かんできて、「あわてないあわてない」
とまるでやる気のない一休さんのごとくである。
しゃがむくらいで骨折?と思うかも知れないけど、歩いてて足の骨を折った過去の経験値がそうさせるのだ。
全治3か月。
当時はまだがむしゃらだった。
ショップの店長という仕事を任されて休めない。
売り上げもあるし、第一代わりの人がいない。
通勤途中に小走りの私はかかとを捻り、捻った状態の足首に全体中をかけた。
イヤな方向に足首は曲がり、一瞬気絶しそうな痛みが走った。
しばらく痛過ぎてしゃがみ込んでいたが、何しろ開店の時間だ。
立ち上がり歩き出した。捻挫だと思っていた。
そのまま200メートル程歩いてみたところで、とても通常の速度では歩けない。
なにしろ足首がぶらぶらする。
歩きながら職場に電話をかけ、「少し遅れる」とスタッフに告げ、とにかくどこかで一旦、足首をテープかなんかで固定してもらえば歩けるんじゃないかと思った。
通り過ぎた道すがらに内科の医院があったのを思い出し、来た道をまた100メートル程戻ってその医院に飛び込んだ。そんなに混んではなかったので、待合室から何人かを経て診察室に呼ばれた。
今日ここに来た経緯を医師はふんふんと聞きながら履いていたソックスを下げる。
「まあ。ここまで歩いて来れたんなら、折れてはないでしょうけ、」
と言ったまま、ソックスを下げた私の生足を凝視した。
「折れてます」
足首から先がパンパンに腫れていた。
あんのじょう、内科専門の医院では処置はできないとの事で、整形外科のある病院に行く事になった。履いてきた靴は、脱いだ後に腫れ上がった足が到底入らず、片足は裸足。
親切な医院の奥様に車で自宅まで送っていただき、保険証を持ってタクシーで病院に向かった。
レントゲンを撮って、やはりの骨折、折れてるのは足首ではなくて、足の甲の部分だった。
さっそくギプスが作られる準備が整い、ギプスを撒かれながら、診察代の上で私はまた職場に電話していた。
「遅れるけど行くから」
ギプスを撒きながら整形外科医は「え?」と言い、「ちょっと今日は痛みも出るし、休めないの?」と驚いた様子で聞いてきた。
「無理ですね」と答え
「それより先生、ギプスをガンダムの足のように立てるように作って下さい」とお願いした。
「いや、ギプスは立っちゃダメだから。足に体重かけないように、床に着かないようにしないと」
困惑気味の先生になおも、仕事は休めない、立ち仕事なので立てるギプスにしてくれと言い張り、
ギプスの上から履ける靴は無いのか?靴屋を呼べと言い張る私。
靴屋は決められた曜日にしか来ないらしく、その日は違う曜日だったので来なかった。
「仕事はしてもいいけど、座ってできる仕事とかなにかあるでしょう?後方に回してもらうとか。」と医師は言うが、世の中そんなに甘くはないのだ。
「そんな仕事はないんです。立てないと仕事にならない」
根負けしたのか、ギプスは立てるように作られたが、足は床に着けないように、松葉杖は必須と医師から言い渡された。
病院のロビーで薬を出されるのを待っていると、会社から電話がかかってきた。
さすがに午後を回っていたので、今日だけは休もうかと思い始めたところだった。
かけてきたのはスタッフではなくて、当時の全フロアの責任者、いちばんエラい人であった。
明日から出勤します。という私に「頼むから休んでくれ。松葉杖の販売員を立たせているってお客様に怒られちゃうよ~」と逆に懇願された。
そして、私の言う通りギプスを作ってくれたけれど、歩き出そうとするとヒザの上までギプスがハマっているので、ヒザが固定されている事に後から気づく。
人間、膝が曲がらないと歩けないのだ。
ガンダムギプスは立てるけど歩けないギプスだったのだ。
してやられた。
結局ギプスをはめてる1ヶ月半。お休みをする事になった。
なんで、あんなにがむしゃらに出勤しようとしてたのかな?
いまなら文句なく休んじゃうけどな。
と、いかんいかん。
このゆるい気持ちを引き締めるべく、この文章を書き出したのに。
真逆の〆になってしまうじゃないの。
と、ひとりごちる睦月のある日の午後。
土曜日の夜。
カオリのボーイフレンドのドゥンとその友達のサンディが、レギャン通りから少し奥に入った路地沿いのホテルまで、バイクで迎えにきてくれた。
カオリはドゥン、私はサンディの後ろに乗り、夜中まで渋滞しているレギャン通りの車の間をバイクですり抜ける。
まるで以前からここに住んでいるような錯覚に陥る。
けれどこれは2週間の旅のほんのひとコマ。
仕事を辞めたばかりで、少しどこかで考え事をしようと思い、日本じゃない知らない場所で、知らない何かを見てみたいと考えてのバリ島旅行だった。
飛行機が着いて2~3日をクタで過ごし、それからバックパッカーの島、ギリ諸島を巡り、再びクタに戻ってきた。
午後になると蒸し暑い熱気が立ちこめる。
昼間はのんびりとホテルのプールサイドで過ごし、夕方少し涼しくなってから食事をしに出かけ、夜はどこかのバーで古くさい洋楽の生演奏を聴く。
それくらいしかする事がなくなっていた。
滞在期間があと何日かを残すだけとなり、最後にどこに行きたいかと訊かれ「アパチェ」と答えた。
アパチェは地元の人の発音。Apacheというクタでいちばん有名なレゲエバーだ。
元同僚のカオリも同時期に仕事を辞め、彼女は1ヶ月の滞在期間で先にバリに来ていた。社交的で英語の上手なカオリは来て早々現地でボーイフレンドを作り、もうその友達たちともシスター、ブラザーと呼び合う仲になっていた。
バイクを駐車場に停め、アパチェへ向かう。
道すがら声をかけてくる人たち。カオリの彼のドゥンはこの辺の顔らしく、どこに行っても知り合いが声をかけてくる。
また1人、アパチェの前ですれ違い様にハイタッチで挨拶していく。
何日か前にもここに来たが、その日は平日だった為に1fフロアのボックス席が何席か空いているくらいだった。けど今日はさすがの土曜日。どの場所も満杯で人があふれている。
私たちはドリンクカウンターで飲み物を頼み、2階への階段を上がってようやく空いてるテーブル席を見つけて腰を下ろした。
上から見下ろすと人の頭の数の多さに驚く。それがみんな思い思いに揺れている。
あと何日かで、このクタを離れる。2週間とは言え現地に馴染んでしまった今、離れるのは感慨深いものがある。
私は1人階下に降りて行き、フロアに出て踊った。
何度かサンディが追いかけてきた。彼はトイレに行くにもついてきて外で待っててくれる。彼の親切すぎる親切が少し面倒臭くなり見つからないように人混みの中に紛れた。
フロアの中央でさっきこの店に入る前にドゥンとハイタッチして行った彼が声をかけてきた。「ジャパニーズ?」お決まりの質問と笑顔。
「さっき店の前で会ったよね?僕の友達が君と僕の顔が似てると言っているよ」
そんなこと言われたのは初めてだ。どう見ても日本人顔の私とこのボブマーリー顔のドレッド君が似てるかな???
どこに泊まってるんだ?ホテルはどこ?と訊いてくる。
ホテル名を明かそうとしたところでサンディに腕をつかまれ元のみんなの場所に戻された。2階へ上がるとドゥンがとても怒っていた。めずらしい。彼はいつも笑顔なのに。
「昨日事件があった。知り合いのロシア人の女性がレイプされて、クレジットカードも盗まれた。ここから勝手に離れちゃダメだ。ここは本当に危ない。気軽に知らないヤツについて行っちゃダメだ。」
「だって、彼はあなたの友達でしょ?さっき店の前で挨拶してたじゃない?」
「知り合いは知り合いでも本当に信用できるとは限らない。そんな知り合いはいっぱいいる。ここにいる俺たち以外は信用するな。」そう言ってサンディと後から一緒に来たアセップを指差した。
ドゥンのあまりの剣幕に驚いたけれど、思い直した。
そうだここは外国だった。少し慣れたつもりでいたけど、日本とは違うのだ。
知り合いにカードを盗まれたり、レイプされたりなんて日本では考えないけど、ここでは日常の話なのだった。
仕事を辞めもしかしたら将来的に海外に住むのも考えようと思っていたけれど、レゲエバーのフロアで踊ることさえ日本とは違う心構えが必要なのだ。
外に出たらドシャブリの雨だった。
夜中の3時を回りいいかげん疲れたので帰ろうとしていたのに、この大雨では雨に濡れても気にしないバリの人達も軒下で雨を避けている。
けれどいつまでたっても雨足は衰えない。
「Go!」
最初に軒下を飛び出したのはドゥンだった。
そのままみんながあとに続き、駐車場からバイクを引っ張りだす。水たまりの中を雨水を蹴散らしながらバイクを転がし、なんとか通りまで出る。
サンディが自分の分のウインドブレーカーを貸してくれた。
すでに髪の毛も身体もべちゃべちゃに濡れているけれど、風が直接当たらないので寒さがマシだ。
とりあえず、雨を避けるために海岸道路沿いのマクドナルドに向かった。
あまりに濡れているので、店内には入らず外のテラス席でコーヒーを飲む。
まだ雨は止まない。
なんだか可笑しくなってきた。
バリ島くんだりまで来て真夜中のマクドナルドで目の色や髪の色が違う人たちに交じって振るえながらホットコーヒーを飲んでいる。
外はドシャブリで自分たちはずぶ濡れだ。そのうち空がすこしづつ白みかけてきた。鳥の声も聴こえる。まるで古い青春映画のワンシーンみたいだ。
この歳になって青春もクソもないけど、こんな経験をすることももうなかなかないだろな、と思い。。。
そもそも2ヶ月前には毎日同じ場所に、同じ仕事に、同じ人たちと、一緒にいるのが当たり前だった生活。
そこそこ楽しい事もあったし、めんどくさい事も、あった。
みんなそんなもんだと思っていたし、特別に不幸でも幸せでもなかった。
そんな暮らしが続いて行くだろうと思っていた。
いま日本から遠く離れた、知らない国で海から昇る朝日を知らない人達と一緒に見ながら、これからのことを思う。
いや、この歳になっても人生まだ何があるかは判らないな。
と思い直す。
そしてわけもなくワクワクしてきた。
完
私はバリ島に来たらやってみたい事があった。
もちろん、バリスパへ行って可愛いおねーさんにマッサージされながらココロとカラダを癒してもらったり
スミニャックビーチのカラフルクッションに座ってビールを呑みながら水平線に沈み行く夕陽を観て涙したり
美味しいバリ料理をバリバリ食べたり。(笑うところですよ〜)
とりあえずはすべてやってみた。クリアした。満足した。
けれど、バリ島といえばあの。。。
日焼けした顔に笑顔を浮かべてあの。。。
「バリ島行ってきたんだよ。いい波が来ててさ〜」的な。
「いやーやっぱり波はバリ島だよね」的な?
そういう会話を帰ってからぜひともひとつ繰り広げたいと思っていた。
そのためにはサーフィン!なにはなくともサーフィン!
ミーファーにサーファー!
そこでわたしはK織のボーイブレンドMドゥンがサーフィン教室で教えてるのをいい事に強引に予約を入れた。
ちなみに生まれてこのかたサーフボードどころかかまぼこ板にも乗った事はない。
さて、予約当日。いい感じに日当り良好だった。
幸いにもMドゥンのいるスミニャックビーチは遠浅で波も穏やかなので、初心者でも大丈夫という事だった。
初心者用の大きめのボードを用意してもらい、さっそくまず浜辺でのレッスン。
ボードを置きその上に寝ころび、波が来た事を想定し、
「GoGoGo! 」と言われたらパドリング(のマネ)
「Up!」と言われたら素早く両手をついて身体を起こし、両足でボードの上に立つ。
「GoGoGo! Up!!」
「GoGoGo! Up!!」
「GoGoGo! Up!!」
2〜3回やったところで、自分が手をついてすばやく起き上がれない事に気がついた。
腕の筋肉がないので、手の力だけで身体を支えてボードに立つという動作が出来ないのだ。そういえば腕立て伏せ出来ないし。わたし。
「えーっと、Mドゥン先生、、、コレはまず筋トレが先なのでわ、、、?」
と不安を隠せないまま振り返って笑ってみたが、日本語がわからない彼は
『ツギ、海ネ』という感じで無言で沖を指差した。
「マジですか?。。。」と思いながら、足とボードを繋ぐロープのベルトが足首に固定された。そのボードをMドゥン先生が持ち、2人で海へ入る。
その時点でまたある事を思い出した。
「あ、そういえばわたし、海で泳げなかった」
正確に言うと、泳ぎは得意なんです。
けど、それは足が底につくプールでの話。
立った時に水の中からちゃんと頭が出ている水深のプールならいくらでも泳いでいられる。クロールも平泳ぎも、バタフライさえも出来る。潜るのも得意。
けど、その水深が深くなったとたんパニクるんです。溺れる気がするの。
たぶん、どこかの前世で溺死したことがある気がする。
という事で。海で泳ぐ時には浮き輪が必要だったのに。
浮き輪無しで海へ入るなんて初めての経験。
「Mドゥン!アイ、キャント、スイム、ウェル!」
と言ってみたが、相変わらず無表情のMドゥンはどんどん先へ進み
『ン、コノ辺リネ』
という感じでボードを波の上に置いて、乗ってと指示する。
こうなったらもう仕方ない。
ごちゃごちゃ言ってないでやるしかないと腹をくくり、
「陸で出来ない事がはたして海の中で出来るのだろうか?」
という疑問が頭に浮かぶのを振り払い、波にゆれるボードの上に必死によじ登った。しばしパドリングをしながら波を待つ。
「GoGoGo!」
ボードを浜に向け、必死でパドル。
「Up!」
やはり立てない。
「GoGoGo!」
「Up!」
ボードにしがみついたまま浜に打ち上げられるか、手をついてそのまま海中に沈むか。。。。
何度目かの波で、ボードがひっくり返ってそのまま水中へ落ちた。
思ったよりも水深が浅くて、というよりほとんど水がなくて、いきなり砂の上に左胸から叩き付けられた。
落ちた瞬間、胸が痛いというより熱かった。
左胸を中心として熱と痺れが広がって行く。
けど、また波が来る。
ボードを拾って、沖に向かって歩き出す。
痛いけど、この時間は決まってるし、今やらねばいつやるの?って感じだったので、痛みは無視した。
その後も何度も「Go! Up!」を繰り返すが、いっこうに立てる気配はない。
身体さえ起こせない。そのうち腕が上がらなくなってきた。
さすがに効率が悪いなと思い、Mドゥン先生に休憩を申し出た。
少し休めば筋肉も回復するかも。
浜で見ていたK織と交代して、ボードを渡して座る。
海の中にいる時よりも身体の左側全体に痺れが広がってきた。
一緒に浜に居たMドゥンの友達のレゲエマン(と呼んでいる)がコーラをくれたので飲みながらしばし歓談。
レゲエマンが「名古屋」を知っているか?と聞くので、
「もちろん知っている」と答えたが、よく考えたらあまり行った事はないので
「名前は知っている」と訂正した。
「ボクは名古屋に行きたいんだ。友達が行ったことある」
といいながら砂に地図のようなものを描いてみせた。
それが名古屋なのかしら?と思ったが名古屋の形もよく思い出せなかったので黙って眺めていた。胸がかなり痛んできた。
『今日はもう無理かもな。。。』
とさすがにちょっと胸の痛みが普通じゃない感じがしてきたことに、ギブアップの逃げ道を探していたら、レゲエマンがつぶやいた。
「ゆっくりでいいよ」
「?」
かれはジェスチャーを交え、
「立ち上がる時に焦らなくていい」
「スローリー、モアスローリー」と繰り返した。
そうなのか。
Go! Up!のかけ声で、一瞬でボードに立つ絵を想像して、その通りに身体が動かない自分。ゆっくりでいいと言われ、それなら出来るかもと思った。
「今日はダメだ〜」と笑いながらK織が海から上がってきた。
「どうする?もう1回やる?」と浜辺に置いて来たボードを指差した。
「ちょっと行ってくる」
とわたしは立ち上がり、レゲエマンに向かって
「モア、スローリーね」と微笑んだ。
沖の波にゆられいい波を待つ。
なんとなく乗れそうな波も判ってきた。
Mドゥンが「Go!」という前にパドリングを始める。
『ゆっくり、ゆっくり』
意識して手をついて上半身を起こす。ボードの上でヒザまで立てた。
もう一度。
『ゆっくり、ゆっくり』
今度は身体を起こしてヒザ立ちのまま波の上を滑った。
ほんの数メートルだけど、確かに波に乗って進めた。
「波の上を滑るってこんな感じなのか」
初めての感覚に不思議な笑いがこみ上げた。
「レゲエマンありがとう」
一生懸命やってもなんだかうまくいかない時は、ちょっとその横のドアを開けてくれる人に出会うのがいいのかもしれない。
こっちにちがうドアがあるよ。と教えてくれる人に。
次にバリ島に行ってサーフィンをするなら
もちろん腕立て伏せは必須だけれども。
ちなみに、日本に帰って関空からすぐ病院に向かったわたし。
診断は「肋骨の骨折」でした。痛いわ、そら。
つづく
数時間後。私たちはKutaに戻っていた。
行きはファストボートに乗ってまずギリ・トラワンガン島に渡り、そこから翌々日ローカルボートでギリ・アイル島へ渡ってと3日間を費やした旅が、ギリアイルからの直行便でパダンバイの港まで2時間半。港からピックアップの乗り合い自動車に乗り、その日の午後には私たちはレギャン通りに降り立っていた。
ずいぶん遠くまで旅をしたつもりでいたのに帰りはあっという間。拍子抜けだった。
さて。船の中で自分についての想いから、私はKutaに着いたらK織とは少し別行動をしてみようと考えていた。1人で動いてみたかったのだ。
私はK織に今夜から別の宿に泊まろうと提案した。K織にしてもボーイフレドと逢う時間もあるし、ずっと私と一緒じゃない方がいいだろう。
それにしてもこれから歩いて条件のいいところを探し回るにしてはもう陽が傾きかけている時間だ。
そこでK織が先乗りして1人でバリに着いた時にFacebookにアップしていたいくつかのホテルに直接行ってみる事にしたが、日本にいる時でさえ道に迷いやすい私、宿探しにはけっきょく心配したK織がついてきてくれた。
ホテルといっても滞在日数はまだあと10日近く残っているし、1人で泊まるのだからいままでより割高になる。ポピー通りにある安ホテル、現地で言う「ロスメン」を当たった。
1件目は清潔で、内装もオレンジと黒と白を基調とした近代的デザイナーズホテルという感じでK織のオススメだったが、それだけに人気があるらしくその日は満室。それに綺麗なのにこした事はないのだけど、なんとなく近代的過ぎて気も乗らなかった。
それよりも、建物の中央に吹き抜けの中庭とプールが設えてある「リタホテル」が気になっていた。レトロな建築様式と中庭のプールのマッチングがとても印象的だったのだ。
果たして行ってみると、前回泊まった時のK織の顔も利いて、想いっきり値切って1泊約1200円ほどで泊まれる事になった。部屋も広く落ち着いた作り。日本では考えられない破格の宿代だ。
リタホテルには様々な人種が泊まっているらしく、ヨーロッパ、欧米、その他中国系の人々が入れ代わり立ち代わり姿を見せる。
私の部屋の前には廊下を挟んで中庭を見下ろすウッドデッキがありその共有スペースに幾つかのテーブルとイスのセットが置いてあった。
内側にセルリアンブルーのペンキを塗られたプールの中で、1人2人の宿泊客が気持ち良さそうに水底で遊んでいる。それを眼下に眺めているとこのKutaの蒸し暑い午後もいくぶん涼しく感じる。テラスでお茶を飲みながら、ここに来てようやく異国の一人旅の気分に浸ることができた。
私は午後いっぱいをこのテラスで過ごし、日が暮れてようやく自分がけっこうお腹がすいてる事に気がついた。
さてどうしよう?
安宿だけあってホテルの中にレストランもなければもちろんルームサービスもなさそうだ。もっともこの辺にはいくつも安くて美味しいレストランやワルンもあるので、わざわざホテルで食事をとる宿泊客はいないのだろう。
けれど繁華街の近くでこの辺りは危険なので夜は1人で外出しない方がいいと注意されていた。
これが日本なら知らない街で泊まったとしても、ご飯ぐらいは夜1人で食べに行くことに抵抗はない。むしろ知らない街の知らない食堂に面白い出会いがあったりして、それはそれで旅の醍醐味だったりするのだけれど。
ここは外国。しかも私は旅慣れない異国のオノボリサンだ。
取りあえず昼間買ってあった2ℓのペットボトルの水を抱えて飲みながら、今夜は早く寝てしまおうと思った。ドアの外の廊下のベンチに腰掛けながら煙草を吸っていると携帯が鳴った。K織からだ。
「今から行くから。晩ご飯食べてなくない?持って行ってあげる」
30分程してK織とMドゥンが来てくれた。お土産にテイクアウトのナシゴレンの包み。嬉しかった。
程なくして2人は帰り、私はホテル部屋のテーブルの上でナシゴレンを広げた。こちらの友達Sanのオススメだそうだ。1人なのを心配して私の分も買ってくれたらしい。地元の人のオススメだけあって本当に美味しかった。
本当に美味しかったのに何だか味気なかった。
日本から何時間もかけて飛行機に乗ってバリ島まで来たのに、1人になったとたん外にも出れず、ホテルの部屋でテイクアウトのペーパーに包まれたナシゴレンを食べている自分。知らない土地で無茶をするつもりはないけど、それでも少し臆病すぎるなと、自立の第1日目にして早くも自分にため息が出た。
朝起きて部屋の前のベンチで煙草を吸っていると、カフェスペースでの朝食作りが始まった。リタホテルには朝食が付いている。と言っても薄い食パンにスクランブルエッグを挟んだのとバリコーヒーというセットだけだが、一応手作りだし、朝起きぬけにわざわざコンビニまで行かなくていいので助かった。作ってくれてるのはホテルの従業員だがまだ若い女の子で年を聞いたら18歳だと言っていた。おなじ年くらいのやはり従業員の男の子とふざけてジャレながらパンにスクランブルエッグを挟んでいる。その横で宿泊客のヨーロッパ人の青年が勝手にパンを取り出し勝手にコーヒーを作り、テーブルに持ち帰り食べていた。すでに彼は自分の分は食べ終わっているが配られた量では足りないのだろう、何度もそれを繰り返している。
女の子は少しあきれた顔をしていたが何も言わなかった。
なんとなく客と従業員だからというよりもその青年に人種差別的な横柄さを感じた。
街で見かけたりホテルで会う宿泊客にも欧米やヨーロッパ人が大勢いる。
彼らはよくグループでバカンスに来ている。当たり前かも知れないが、そこに現地の人たちとの交わりをあまり見かけない。人種ごとにグループが別れていてその中でしか会話していない。
この国へ来てから向こうから話しかけてくるのはインドネシア人だけで、大勢いる他所の国の観光客とは同じ空間にいても彼らの視界に自分が入っていないような、妙な違和感があった。
人種的な問題?それとも単に箇々の性格によるもの?
答えを出すには、私にはまだ異国での経験がなさ過ぎた。
けれど、そんな想いはすぐ別の興味にかき消されてしまった。
テラスの階段をK織が手を挙げながら登ってくるのが見える。
今日は買い物をしてランチを食べて、夜はバリ島で1番有名なレゲエバーに出かけるのだ。
オバケバンガローの薄暗い部屋とプランクトンが波打ち際で光る漆黒の浜辺から、わずか数時間で都会へ戻り、一夜明けてKutaの雑多な繁華街の喧噪の中へと私たちは飛び出して行った。
つづく
さて、しばらくお休みしてしまった。
続きを書こうと思う。
話はギリ・アイル島に戻る。
その夜オギちゃんに別れを告げ、私たちはオバケバンガローに帰った。
帰りしなにK織は明日の朝、海岸通りの船のチケット売り場に行ってみると言い出した。
「明日、チケットが買えるならそのままKutaに戻ろうと思う」K織は言う。
思っていた程の盛り上がりのないパーティーアイランドであったことも大きいが、それよりなによりK織はKutaで知り合ったボーイフレンドに逢いたくてたまらなくなってきたらしい。
運命の出会いというものがあるのかないのか、彼女はバリ島に来て知り合った男の子と恋に落ちてしまったのだった。
そう、今となってはパーティーなんてどっちだっていいみたいだ。
ところで。
自分はどうしよう?
ギリトラワンガン島に比べてギリアイル島はかなりの田舎で、砂浜も海もとても綺麗でのんびりしている。ある意味、この旅でゆっくりしたいとイメージしていた理想の場所に近いかも知れない。美しい自然に囲まれて、騒がしい観光客も少なく大人のリゾートアイランドといった風情だ。
私はバリ島に来る直前にそれまで何年か勤めていた会社を辞めた。
何故に?と訊かれても本当に答えようがない。
ただ、すべてはタイミングだった。
人生には何度か「変わりゆく時」というのがあって、それは往々にして外からの暗示的な切っ掛けと、自分の中で積み重なってきた何かがスパークするように出会ってしまうタイミングがおこる。
禅語でいうところの「啐啄同時」というやつだ。
何かを思いついてやろうと思った時に、周りの環境や自分の立場、その他いろいろな事が要因で、不可能な事はままある。本人が努力しても出来ない事は出来ない。
けれど、本来なら叶いがたいはずの事が、何の障害もなくスルスルと叶ってしまう時がある。まるでそちらの方向に導かれているように。
そういう時には「そこに向かって進む」事にしている。
考え無しの自分のせいで痛い目は見ても、不思議と後悔する事はない。
不思議なタイミングでそれまでの仕事から離れて、少しこれからについて考えようと思った時、仲良しが計画したバリ島旅行に誘われ行ってみようと思った。
そんな経緯でその時の私はギリ・アイル島というバリの周辺の小さな島にいたのだった。団体ツアーでもなく、この先どこに行くかも、なにをするかも、明日どこに泊まるかも決まっていない。
同行のK織とは滞在日数がちがうので、帰りもバラバラだ。もとより、彼女は彼女の行きたいところに行き、私は私の過ごしたいところで過ごす、はじめにそう取り決めて出発した旅だった。
このブログの冒頭にも書いたが、私にはほぼ初の海外の旅。
そでれそんな旅をしようと思ったのは、その時の自分を試したかったからかも知れない。
パーティーへいく前、夕食を摂っていた浜辺のレストランで、暮れ行く海に夕陽が沈むのを眺めながら、とりあえず明日どうするかを私は考えていた。
このままK織は明日の船でKutaに戻るだろう。
わたしはどうしよう?
私にはK織のようにすぐさまKutaに戻りたい理由もなにもない。
この島はのんびり出来そうだし、1人で過ごすのも悪くない。
さしあたって、気に入らないのはあのオバケバンガローだ。
一晩だけ、しかもK織と2人ならまだしも、自分ひとりであの部屋で過ごす勇気はない。もし、自分ひとりでこの島に残るなら朝早く起きてちがう宿を探さなければ。それを思うと少しめんどくさかった。荷物を抱えて宿を廻るのはけっこう骨が折れる仕事だ。
それに来る時に買ったオープンチケットの事も気になっていた。
私の買ったチケットの船はこの島からは直接出ていないので、Kutaに戻るためには一旦隣のロンボク島に渡るか、ここに来る前に居たトラワンガン島に戻らないといけない。
それに船に乗るには前日に船会社のカウンターに直接行って予約をしないとダメだと言われていた。という事は、いずれにしてもロンボクかトラワンガンでもう一泊はしないといけなくなる。
明日朝早く起きて宿を探し、浜辺でのんびりしたとして夜は1人で食事をし、また船に乗ってちがう島に行き、そこでも一泊過ごしてやっとKutaに帰れる。
なんだかとっても面倒になってきた。
それほど自分はここで過ごしたいんだろうか?
日中の砂浜でたいして面白くもなくぼーっと海を眺めてる自分を想像してしまった。
けれど一方ではそもそもそうやって1人で過ごしてこれからの事を考えようと思ったんじゃなかったっけ?友達にくっいて廻る旅に意味あるの?となんだか中途半端な自分を情けなく思う。
パダンバイの港から船に乗って3日目。早くもホームシックならぬKutaシックにかかっているK織を横目に見ながら、私のあたまの中ではそんな2つの考えが行ったり来たりしていた。
次の朝、船会社の開く10時に間に合うようにK織は荷造りをはじめた。私も同時にスーツケースに荷物をつめ直し、2人で船会社のカウンターへ向かった。
船は11時に出発するという。K織はすぐさまチケットを申込み、船に乗るつもりで準備をしている。
昨日までは2人ともこれからどうしようという話だったが、あっという間に相方の行く末は決まってしまった。
私と言えば、、、もうこの時既に心細くなってきていた。
ひとりで今夜の宿を探しに行くか。。。
そして前の日の夜、実はオギちゃんにオープンチケットの話をすると、買った値段の半額以上では売れると言っていたのを思い出し、ためしに買い取れるか聞いてみた。
ウチのカウンターでは取り扱わないが、同じ船会社なら買い取るかも知れない。港にその船の会社の男がいるから行って聞いてみろ、と言われた。
船が出る時間も迫っている。それにしても急いで港に行って探した会社の男はどう見ても子供だった。英語もちゃんと通じない。
困っているとその側にいた、ガタイのいい悪顔のスティーブンセガール似のオヤジが話しかけてきた。
「このチケットでここからKutaに行く船に乗れる。明日12時に港に来い」
なんだか今まで聞いていた話とぜんぜん違うし、第一目つきが怪しかった。
念のためにチケットを買い取れるか聞いてみた。
買った時の5分の1の値段を提示しながら悪顔のスティーブンセガールが笑った。ぜったいアヤシイこの男。
「Okay」といい残し、やはり最初に行った船会社のカウンターに急いで戻った。こっちの兄ちゃんは実は昨夜のパーティーでナンパしてきた男の子の1人だったけれど、話してみるといい人そうだった。この人を信用してチケットを売り、代わりにこの会社のチケットを買い直した。
そう。
けっきょく悩んだ末に私の出した結論は、K織にくっついてKutaに戻るだった。
船に乗り込み、しばらく黙っていた私にK織が「どうしたの?」と聞いてきた。
「私って優柔不断やなと思って」思ってるままを告げると
「そうやな」と身もふたもない答えが返ってきた。
旅は自分を発見する場。
よく自分探しの旅にでると言うが、自分は探さなくてもはじめからそこにいる。
自分が本当は何者なのかを気づいてないだけなのである。
つづく
さて、それはさておき。
トイレである。
いきなりな話の展開であるけど、みんな着いて来れてるかな?
いぇ〜い!
言わずと知れた日本のトイレは世界水準でも高レベルにある。
暖かい便座、ウォシュレットの完備、高水圧高水流、高品質のトイレットペーパー、そもそもの清潔感。
最近ではドアを開けた瞬間に便座のフタが開いたり、用が終って立ち上がると同時に水が流れたり。
至れり尽くせり過ぎて、それはそれでどうなの?って思うときもあるくらいである。
立った瞬間に水が流れて、いやいや、まてまてちょっと
こっちのペースも考えないで勝手に流さないでくれないかな?
と、無用な怒りをトイレに感じたりする。
さて、そんな日本生活にどっぷり浸かったほとんど海外経験のないワタシVSインドネシアのトイレについて。
もちろん経験はないが、昨今の情報収集である程度の事は判っていたつもりでの渡航。けど判ってはいても、実際に使うのとは大違いなのだ。
まず、彼らは基本的には紙を使わない文化圏の人たちだ。
空港のトイレのような、近代的な公共の場所でも、トイレにはシャワーのようなホースが付いている。手持ちホース式ウォシュレット状態だ。終ったらそのホースで水を出して、洗浄する。
比較的に観光客が使うと考えられる場所では、ホースはあるが、トイレットペーパーとも併用出来るようになっている。
しかし少しそのエリアを外れると、そこにあるのはホースのみ。
持参の紙も水圧が弱く、詰まるので流せない。
バケツが置いてあったりする。
使用後の紙が無造作に山積みだったりする。
床が水浸しだったりする。ハンパなく。
便座に靴痕が、、、洋式便座の上に上がっているものと思われる。
けれどここまでは、、、
ネットの情報などでも想像できる範囲ではある。
もっとローカルな地方に行くと、、、
まずホースは姿を消しその代わりに水桶。
小さい風呂のようなものもある。そこに柄杓が浮いている。
その水は流水などではなく、いつからそこに溜めてあるのか、
皆目見当がつかない。
亀が住んでいても不思議じゃない謎の池の色をしてたりする。
ふと見ると、横の壁にはヤモリが歩いていたりする。
しかし全体的に暗いので、細部はよく見えない。
見えづらい箇所がいっそう恐怖心をあおる。
いっそ見えない方が自分のためである。
鍵は壊れていたり、最初からない事もある。
逆に一度、カフェでトイレに行きたくなりお店の人に場所を聞くと、店の外にあるからと言われ、しかもその人が同行してきた。
なぜなら、トイレに南京錠がかかっていて鍵を開けないと入れないから。
納屋のようなドアにかかってる南京錠を開けてもらって中に入る。
真っ暗な中に便座らしきものが、、、
彼はドアの外で番人のように待っている。
この店でもう1度トイレに行きたくなったら宿に帰るしかないな、と思った。
そうは言っても、せっかくの異文化に足を踏み入れてるのだ。
そういう違う文化を体験することこそ旅の醍醐味ではある。
郷に行っては郷に従え。虎穴に入らずんば、、(古っ)
すこし旅に慣れてきた頃、外出先でワタシは思い切ってこの手持ちホース式ウォシュレットを使ってみようと考えた。(さすがに亀の住む水桶は無理)
なにごともチャレンジしてみないと解らない。
さて、ホースを片手に持ち、女子なので(これでも)スカートを開いておもむろにノズルを押すと、すごい水圧で水が噴射!
ぎゃーという声と共に、下半身がびしょびしょに。
スカートもパンツもびしょびしょである。
大の大人になって雨でもないのに下半身びしょ濡れで外を歩くのはこれが初めてだ。
しかしそこはBali。あっというまに濡れた服は乾いてしまった。
しかも拭くだけじゃなく、洗っているんだからなんとなくさっぱりした気分にはなる。
次の日、ワタシはもう一度トライしてみた。
つまり、服を着たままの状態でいかにして衣服を濡らす事なく、ホース式ウォシュレットを使いこなすか。
リベンジだ。
今度は用心してかなりパンツを下げ、洋服はたくし上げ、水圧に注意しながら、、、、
ぎゃーーーーっ!
そして再び下半身がびしょびしょに。。。。
2戦2敗。
再び下半身のみ水浸しで通りを歩く事になった。
もしインドネシアの男性に嫁ぐ事になって、姑に教えを乞う事があるとすれば、このホース式ウォシュレットの使い方だろう。
トイレに入る時に一緒に入らせてもらって、どうやったらパンツを濡らさずに用を足せるのか、ぜひその一部始終を見学させてもらいたいと切に願う。
つづく
夜になり。
わたしとK織は満を持してフルムーンパーティーにでかけた。
街灯の全くない真っ暗な薮の中を、海岸通に向かって突き進む。
満月の夜なのだが、都会派(笑)の私たちには電気の明かりのない薮の中では道すら見えず、頼りになるのはiPhoneのライト機能のみ。
その暗闇を歩いていると、真横を時折自転車が猛スピードですり抜けていく。
もちろんライトも何も点いていない、真っ暗な中を猛スードの自転車に乗って走り行く真っ黒い人。
彼らはあのスピードで、この暗闇で周りが見えているのだ。
「ほえ〜〜」
生き物のとしての己の性能の悪さにしばし落ち込む。
そんなことはさておいて。
”ふるむーんぱーてー”である。
夕方街でリサーチしてきたK織に寄ると、海岸通のレゲエPubが今夜のパーティー会場のようだ。
その店に向かう途中、盛り上がる時間帯を待つのに海沿いの一軒のレストランに入った。 海を見ながら食事ができるように席が作ってあり、テーブルの上のキャンドルがロマンティックにゆれている。
食事は少し前に別のお店ですませたので、お腹はいっぱいだ。
申しわけに頼んだフレンチフライをつまみながら、ビンタンラージをゆっくり飲んで時間をつぶす。夜風が心地いい。
試しに飲み物を運んできた地元のウエイターに、今夜のパーティーの様子を聞いてみたら「友達は行くと言っていた」とか「あると思う」とか意外や小さな島のお祭りにしてはあやふやな答えで、果たして今日のパーティーはちゃんと盛り上がるのかと心配になってきた。
この事に限らず、インドネシアの人々はあまり好奇心旺盛ではないというか、知識や事柄に対してのある意味の欲を感じない人が多い。
聞いた事に関しても、知らない事は知らないという姿勢だ。それ以上に調べたり、他に聞きにいったりという人にもあまりお目にかからない。
そもそも、自分のごく身近な事柄にしかもともと興味がなさそうだ。
国民性のちがいなのかもしれない。
などどK織と無駄話をしつつ、11時を過ぎて頃合いになったので、例のPubに向かった。歩いていく道すがら、ドンドンという4つ打ち系ドラムのビートが聴こえてくる。
いい感じだ。K織の瞳も期待に輝いている。
店に入っていくとある程度の人だかりと照明、音楽。そのフロアで思い思いに踊る少数の観光客(主に欧米人)と地元の島の住人。
「なんか違う」
K織の言葉に頷くわたし。
スペイスバーではないのだから仕方ないけど、この島に来る前に散々見て楽しみにしていた、砂浜にそのまま立ち上がるサイケデリックな色とカタチのDJブースと松明の中で水着で踊るオシャレな人達のヴジュアルイメージ。そのニオイがどこにもない。
店内は風が吹きさらしで、フローリングの床に上に何本かのむき出しの丸太が、柱として屋根を支えているという感じ。
「湘南辺りの海の家」という風情だ。
「音楽は悪くないんやけどな」
昨日のトラワンガン島の店のバンドサウンドに比べたら、コチラはダンスビートが爆音で夜の海に響き渡っている。ちゃんとDJらしき人もいる。確かに踊れる音だ。古くさくもない。
なんとなくザンネンな風景の中で声をかけてくる島のオニイチャン達(コチラの人は本当に臆面もなくナンパしてくる)をかわしながら、適当な場所を確保してしばらく様子を見ていた。
前にも書いたが、ワタシは好奇心のみで今回のこの島のパーティ巡りプランに乗っかった人なので、もともと「いつもクラブで朝まで踊ってますぅ」的なカルチャーが自分の中にはない。(←しかもそもそもディスコ世代)
砂浜で4つ打ちビートで朝まで踊る、、、というより、海を見ながらぼーっとお茶を飲んで夜は早く寝る、、、というような「君子危うきに近寄らズー亀仙人ツアー」くらいが体力的にはちょうど良いのかもな。
少し離れた所で頼んだアルコールのグラスを片手に、酔っぱらって踊る人たちを傍観。厭世観。なんだかみんなすごいなーと感心する。
早く切り上げて帰ろかな。。。的な思いで、フローリングの床から外の海岸にでて砂浜に座って適当に注文したカクテルを飲みながら夜の海を眺めていた。
思ったほど星は出てないのだが、それでも闇の中の漆黒の空の色は日本では見た事のないほど濃厚で、ひとつひとつの星の光の瞬きを際立たせていた。
ふと見るとK織も店内からでて、波打ち際で月に向かって裸足て踊っている。
これはこれで良い夜だな、、と、夜の海の風に吹かれながら、アルコールで少しぼんやりした頭を醒ます。
しばらくして暗闇の中でK織が「オギちゃん!!!」と叫んだ。
どうやら夕方ひとりで島探検に出かけた時に知り合った、島の男のコのようだ。岡村隆史に似てて、いい人やでーと話していた。
たしかに岡村がボブマーリーのコスプレをしてさらにお猿度が増したらこんな感じかな?と思う。
オギちゃんはニコニコしながら近寄ってきて、話しかけてくる。
K織が「友達」とワタシの事を紹介して、しばらく3人で話すが、オギちゃんの英語らしき言葉はよく判らない。
ふんふんと頷いて聞きながら、どうやら判った事は
オギちゃんはサーファーである。
オギちゃんはオッサンに見えるが24歳である。
2歳のときからサーフィンをやっており、スポンサーが2人いてサーフィンの仕事でバリ島にも行った。
サーフィンはトゥルルルルである、簡単だ。
コモドドラゴンを飼っていて、明日来たら見せてあげる。(どこに?)
コモドドラゴンは危険だ。
でも僕がいれば大丈夫、トゥルルルルだから。
大きな波が来たらトゥルルルルだ。
とにかくすべてにおいて最後はトゥルルルルと言いながら、あとはジェスチャーなので、それなら初めからジェスチャーだけでええじゃないかと思うのだが、トゥルルルルは言いたいらしい。
オギちゃんが教えてくれた、浜辺に打ち上げられるプランクトンを見たくて波打ち際の砂を目を凝らしてじっと見る。
キラキラ光る砂の粒のようなものらしくて、波が引いてゆく一瞬に確かに砂の中に光るものが見える。
月が出てない夜は浜辺全体が夜空の星のようにキラキラ光っているんだとか。ロマンティックな光景である。
そんなオギちゃんは浜辺の流木に座ろうとすると砂は払いのけてくれるし、飲み物は買って来ようか?なにがいい?とやたら親切だし、キラキラした瞳でジッと見つめてくるし、コモドドラゴンを見せたいので明日また来てほしいというし(どこへ?)
K織がにやにやしながら「オギちゃんに気に入られてるで」と肘でつんつんしてくるし、、、、
オギちゃん
若干24歳。
岡村隆史寄りのボブマーリー。
ペット:コモドドラゴン。
う〜〜〜ん。(– –;)
どうする、俺。
つづく。
さて。
、、、、、時は夕暮れ。
、、、、、やっと着いた宿。
、、、、、荷物の重たさ。
、、、、、宿のおばちゃんとK織のニコニコ顔。。。
大人としての冷静な判断をもって諦めの境地に至ったワタシは、今晩一晩はガマンする事にしてこのやまんばの部屋で荷物を解いた。
とは言えあまり部屋の中には居たくないので、外のテラスに腰を下ろし、煙草を燻らす。
目の前には木々が生い茂り、それを眺めながらゆっくりと煙草を吸う穏やかな夕暮れ。風に吹かれながら縁側でぼーっとする老猫の気分ってこんな感じかも。
うんうん。まあ悪くない。
と半ば強引に納得しながらしばし黄昏れる。
しかしその穏やかなひと時が、だんだんとテラスの外灯に集まってくる虫たちによって驚愕の夜へと変っていく。
足下に集まるヤブ蚊に辟易しているうちに、蛾や黄金虫のような大きめの虫たちもテラスを飛び交うようになった。
こうなるともう黄昏れている場合ではない。
荷物の中から虫除けを取り出し、空中に散布。
K織も応戦して、強力虫除けを小屋中にまき散らす。
ここで私たちは野生の島の野生の昆虫に、無菌大好き弱小日本国から持っていった強力虫除けなんか、ぜんぜん歯が立たない事を思い知るのだ。
光のない国に一点の明かりを見つけた虫たちは、ハンパない勢いで群がってきて目の前を飛び回る。
そして、我々の必死の防虫駆除にもかかわらず、ついに小判大のゴキブリ様。。
降臨!!!
やまんば小屋に怯まなかった野生児のK織も、ゴキブリには弱いらしく気が狂ったように虫除けをゴキ様めがけて集中散布。
けれども当のゴキ様はまったく気にされていないご様子。
き、、、効かない。。。
私たちが頼りにしていた唯一の文明の武器も、この大自然の中ではオモチャの吹き矢くらいのショボイ飛び道具であった。
コウなったらしょうがない。集まってきている虫たちはテラス灯の光がお目当てなのだ。その明かりを消してしまえば、またどこかに行くだろう。。。
K織に電気のスィッチを消すように頼む。
と。。。その数秒後。
耳元をかすめる羽音。。。
そして。。
かつて経験したことのない感触。。。。
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!!!
電気をつけるとワタシの首元にゴキ様が降臨していたのだっ
た!!!!!!!!!!!!!
言葉なく声も出ずひたすらバタツくワタシ。
叫んだのはそれを観ていたK織の方だった。
猫屋敷。。テラスに逃げれば虫屋敷。
一句
つづく
この旅で一番気になっていたパーティー、それはギリ・アイル島にある
「Speace Bar」でのフルムーンパーティーだった。
ビーチにいきなり立ち上がった極彩色のキノコを思わせる、サイケなDJブース。焚き火から上がる火柱。その明かりの中で水着で踊る人たち。満月の夜。その写真の一遍を見るだけでもワクワクする。
ギリ・アイルの海岸へついたのは夕方。
今夜パーティーがあるなら、日が暮れるまでに島の反対側にある「Speace Bar」近くに宿を取りたかった。
チドモとは島での唯一の交通手段である、一頭立ての馬車のような乗り物だ。
タクシーの初乗りが50円のこの国で日本円にしてチドモの乗車料1000円弱はかなりな観光客値段の痛い出費だが、泥濘の悪路をコロコロのスーツケースを引いて1時間も歩く体力と時間がない。
クタなどの都会に比べると、観光のみで暮らしを建てている島の物価は高いのだ。うっかりしていると日本よりも高いものを買いそうになったりする。気をつけなければ。旅はまだまだ続く。
港の海岸通で待機しているチドモに話をつけて島の反対側まで行ってもらうように告げ、私たちは荷台に乗り込んだ。
デコレイトされたポニーも可愛い。この旅ではめずらしく観光客気分でご機嫌である。
「Speace Bar」の近くに行きたいと話すと、御者の男の子は「Speace Bar」はもう閉鎖されたと言う。
「ぎええええーーーー?????」
その言葉にK織が奇声を上げた。
この旅で1番楽しみにしていた「Spease Bar」がもう無いだなんて!!!!
「え?マジ?リアリー?マジマジーーーー?」
K織はうろたえて日本語と英語がごっちゃになっている。
「どっちにしろ、今日のパーティーは島の向こう側じゃなくて、こっち側だ」
男の子が言うには、島の北側(スペイスバー側)と南側(港側)は別々の曜日にパーティーをやっていて、今日は南サイドの日だと。
「じゃあ行ってもしょうがないじゃん!」
様々なネット情報やら旅のガイドブックが反乱している世の中だが、こういうローカルな場所の情報は、確かな事が何一つ出て来ない。
実際に、歩いてたった1時間足らずの島の北側のことを南側の現地の住民に聞いたって、よく知らないと答える。
しかたがないので、チドモに乗りながら急いで行き先を変えてもらい、男の子に近くで安い宿に連れて行ってくれと頼む。
そして、、、彼が連れて行ってくれた場所が、、、、
広い草むらに一角だけ住居がある。
住居といっても小屋の群れと言った方が妥当だ。
日本史の教科書に載っている、高床式住居を思い出してほしい。
私はこれでも、学生時代に山登りをしていたので山小屋には慣れている。
テントにも平気で寝るし、比較的アウトドア仕様に耐えられる。
ハズだった。。。
高床式住居のハシゴを上がって、枠が歪んで閉まり切らない木の扉を開けると、まだ日が落ちてないのにも関わらず薄暗がりの室内に、所々破れかかった虫除けの蚊帳がついたベッドがひとつ。
その蚊帳が野球場のネットのようなミドリ色なのだ。
「なんでミドリ色?もう少しマシな色があるやん、、?」
そのミドリ色を、点けても暗いままの裸電球がぼんやり照らしている。
まんが日本昔話に出てくる、やまんばの家のようだ。
その奥に、同じく閉まらないままの木のドアが見えた。
覗いてみるとシャワーとトイレが一緒になった土間のようなスペース。
やはり、小さい電球がひとつで中は防空壕のように暗い。
便器には便座がない。シャワーは木の柱に括り付けてあるホースに申しわけ程度の蛇口。
子供の頃、友達と探検した廃墟を思い出した。
夜逃げした一家の家の跡に野良猫が住みつき、猫屋敷と呼ばれていた家だった。
「絶対に夜トイレには行けない、ここはムリ」
バンガローのオバちゃんオーナーに、他を探しますと言うつもりで、土間から部屋に戻ると、K織が早口の英語ですでにオバちゃんと値段交渉を終えているところだった。
「一泊1500円で2人分。決まったよ」
と、K織がワタシをみてニッコリ笑った。
「りーあーりー?」(–0–;)
心の中でつぶやくワタシであった、、、、、
つづく
さて、話を島に戻す。
そもそもなぜワタシはギリ・トラワンガン島などに行ったのか?
もう少し正確に言えばワタシはK織の旅に便乗しただけなので、なぜK織はトラワンガン島くんだりに行きたかったのか?
答えはひとつ。
そこがパーティーアイランドだからである。
この一ヶ月前にパンガン島なるパーティーアイランドでフルムーンパーティーに参加し、すっかりご機嫌になったK織は、ことあるごとに島に行きたいとつぶやいていた。
そこで今回も、クタやウブドでのんびりスパと観光などと疲れた都会から羽を伸ばしにやってくる女子系な旅にはならずに、バックパックを背負って泥濘の道を歩く羽目になったのだった。
それなのに。。。
トラワンガン島についたその日がパーティーの日だったなんて。。。
ネットの情報でも確かな事は判らず、そのことを知らなかった私たちはついた当日の疲れもあってか夕方から部屋で眠りこけてしまった。
つまりパーティーアイランドにわざわざ出向いて、パーティーの夜にお部屋で寝ていたのでした。シンデレラも真っ青。
眠りこけたシンデレラの私たちが、その事を知ったのは翌朝起きてからだった。
がっかりするK織をなだめながら、昼間はとりあえず島巡りをした。
島の人に訊いてみると、土曜の夜がパーティだと決まってはいるが、その他の曜日も何だかのイベントはやっているとのことだった。
そこで、今夜こそと体力を温存しつつその夜のパーティーに臨んだのだった。
本当ならその夜もゆっくり眠りたかったワタシだが、K織に引きずられるように島一番の繁華街である港の周辺へ向かい、なかでも比較的人で賑わっているパブに入ってみた。
そこそこ盛り上がっている。
ステージではバンド演奏。踊る欧米人。みんな若い。
K織とワタシはとりあえず飲み物を買い、その辺の止まり木に腰をおろす。
「若いのぉ。。。」
ステージ前で踊り狂うオージーを見ながら、K織がつぶやく。
てか、アンタもまだ20代やん、、、と思ってK織の顔を見るとご機嫌ナナメなご様子。
彼女が求めていたのはクラブ系の4つ打ちリズムで、古くさいバンド演奏には興味がないようだ。
おまけに、真っ黒に焼けて大きい目のK織はインドネシアンに間違えられる事多数。カワイイ顔をしているので現地人にモテる。
ここでもやたらナンパ男に言い寄られる。
「めんどくさ〜っ!」
と言い放ち無視をきめこむK織嬢、帰りたいモードになってきたようだ。
どっちみちワタシは早くお部屋に帰ってゆっくりしたい。寄る年波と共に夜遊びは身体に応えるのだ。
それにしても殆どが20代前半だろうと思われる若者の中で、1人だけ鶏ガラのようなキンパツのオバちゃんが、叶姉妹のような全身キラキララメを塗りたくり、おっぱい見せ見せドレスで「トイレはどこ?」と聞いてきた。
教えてあげた女子トイレが満杯と見るや、迷わず男子トイレに向かう。中から出てきた男の子がビックリして悲鳴をあげたがおかまい無しにトイレに入った。
「スゲ〜。。。」
みんな呆気にとられていた。
年とって夜遊びしようと思うなら、あのくらいのバイタリティーがないと無理だな。。。。と妙な厭世観が。。。
しばらくライブを眺めていたが
「この島には求めているパーティはないっ!明日ギリ・アイルへ飛ぶ!!」
というK織のかけ声により、店を出て2人してバンガローに帰った。
よく朝ギリ・アイル島に行くために港に行くと、もう既に午前中の船は出てしまっていた。
しかたがないのでまた海岸沿いのレゲエバーでビンタンビールを呑み呑み時間をつぶす。
まあ、要するにぼーっとするしか昼間はする事がないのだよ。
時間が来て、ボートに乗り込む。
行きのボートと違い甲板はないローカルボート。
船の内側の側面がベンチになっているだけの、公園の池に浮かぶ2人乗りボートのでっかい盤だ。
背中は海、前も海、吹きさらしである。
天高く波も高く、ボートも揺れる。
波に乗って船が浮上したかと思えば、波と共に一気に滑り落ちる。
水が入って来ない方が不思議なくらいの傾きをくるんくるん繰り返しながらボートは進む!
背中から波を被って水浸しになってみんな大笑い。
ディズニーランドの100倍楽しい(行ったこと無いけどね)
それでなくとも、向かい側の白人の女の子は赤い顔をして宙を見ながらずっとニヤニヤしてる。どうやらマジックマッシュルームでイッちゃっ
てるみたいだ。
日本ではまず見ない光景だな〜
そうして水しぶきにキャーキャー言ってる間に、船はギリ・メノを通過してギリ・アイルに着いた。
さあ!
今夜こそフルムーンパーティー!
。。。。なのか?
つづく
思い出したらだんだん腹が立ってきたので、この勢いで続きを書くことにする。
そう。その日の夜の出来事。
めちゃくちゃ美味しいアヤムゴレンのお店でアヤムを食べたくなり、この夜に友達と”アヤムゴレン・プルンクン”に向かう。
*アヤムゴレンについては後日たっぷり紹介したいと思う。そのくらいの感動すべき食べ物である。
食べ終わり、まだ7時頃だった。
夜中にまた仲間で集まりレゲエバーに行く予定ではあったが、前の日のサーフィンの疲れを引きずっていたワタシはひとりホテルに帰って、夜中の集まりまで休む事にした。
考えたらこの時すでにサーフィンで肋骨折れてたしね。それでも夜中のレゲエバーには行くつもりの◯◯歳。お元気でなにより。(– –#)
で、タクシーを使う事にして、通りで拾う。
少し汚れた感じの濃紺のボディ。
バリで安全なタクシーは「ブルーバード」という会社だとガイドブックには載っていたが、ブルーにしては色が濃すぎるし、どちらにしても女1人で乗り込むのは初めてだ。
大丈夫かなと心配しつつも、現地の男友達であるMドゥンが運転手に行き先を説明してくれる。メーターも倒せと伝えてくれた。
(はじめに言っとかないとそのまま発進され、タクシー料金が運転手の言い値になったりする)
そして車は走り出した。
まず、開口一発「あの男(Mドゥン)はお前の彼氏か?」と聞いてくる運転手。
疲れていたので何も考えずに「違う。友達の彼氏だ」と答えるワタシ。
「じゃ、お前の彼氏はホテルで待ってるのか?」と運転手。
「待ってない」とワタシ。
「日本人か。日本に彼氏がいるのか?」と。
めんどくさいので、ずっと「No!」とだけ答えていたら、
「夜の海が見たくないか?海岸通の道を走ろうか?」
と振り返って微笑む運転手。明らかに何かを企んでいる顔。
なんでやね〜〜ん????!!!!
とココロの中心で関西弁を叫ぶ。
マジかー?しまったー!
ホテルにゴリゴリのヤクザの彼氏が待っていると答えたらよかった。。
が、時すでに遅し。。。
「No!No! ハリーアップ トゥ ホテル!」
と語気荒めに言うと
「そうか。。急いでいるのか。。」と残念そうに言われ、とりあえず夜の海岸ドライブは免れたようだった。
けれど、どんどん人通りの少ない暗い道の方に入っていくタクシー。
こっちに来る前にネットや友達から聞いた危ない目にあった日本人観光客の話を思い出す。
ワタシは向こうで買ったサムスンの携帯電話を取り出し、無意味にピコピコとボタンを押して変な事したら友達呼ぶわよ的ポーズを取ったり、ここはレギャン通りか?この道はベモコナの近くか?と、オノボリサンじゃないのよ道知ってるのよ的アピールをしてみたりして応戦していた。
その甲斐あってかどうなのか、車は無事ホテルに着いた。
さて、問題はそこからだ。
「300円ください」←なぜかここだけ日本語。
運転手は振り返って言う。
「はてな?」である。
メーターは2490ルピア(まあたぶん200円強)
「なんで?メーターは2490でしょ?」
とワタシ。
「イイじゃないですか〜300円くださいよ〜」←やけに使い慣れたナメきった日本語
さっきまでの怖がらされた思いがこのバカにしたような日本語の口調で一気に蘇ってきた。この時点で自分の血圧が上がってきているのが自分で判る。
「キャン ユー シー ザ メーター?」とわざとゆっくり聞いてみた。
「イエス」とちょっとかしこまった様子で答える運転手。
「なんで300円払わなアカンの?ちゃんとお釣払ってね」
と50000ルピア札(しかなかった)を出したワタシに
「釣はな〜い」と悪びれず言い放つ運転手。
あたまの中で「ブチッ!」という音がした。
「ワット
ユア
ネイム?」
次にワタシの口から出たのはコレだった。
もはや無敵だ。
「ヤワン」とオドオドしながら答える運転手。
「ステイ ヒヤ ヤワン!!!!!」
車を降りてホテルのすぐ横にあるコンビニに飛び込み、10ルピア単位までお金を崩すと、車に戻ってヤワンにキッチリ2490ルピアを渡す。
「なにか問題あるか?」と聞くワタシに
「ない」とちいさな声で答えるヤワン
怒りの中ホテルの部屋に戻りつつ振り返ると、ヤワンが後部座席のドアを閉めにコソコソと運転席から降りてくる姿が見えた。(自動ドアじゃないしね)
叱られた子供のようにショボクレた後ろ姿に
「アホか!」
とバリのホテルのプールサイドで小さく叫ぶワタシであった。
つづく
ここまで順を追って書いてきたが、記憶が鮮明なうちに少し先行して違う話を。
これは、島から再びKutaへ戻って来てからのできごとだ。
その日わたしは2度もダマされかけた。
一度目は両替。
バリ島で現地のお金が足りなくなると、街の両替屋に行ってその都度両替していた。両替屋は至る所にあり、店によって若干レートが異なる。
前日に見たホテルの近くの両替屋のレートが結構高かったのを思い出し、その店にいってみた。
そこは裏通りにあり、多少アヤシイ雰囲気だったが、レートは(YEN=119)とかなり高めだ。(その週のだいたいの相場が(114)前後。)ただ、レートが高めの店は手数料を取られたりして結局は損だと聞いていた。
念のためにと表通りの別の両替屋も覗いてみたら、ほぼ同じレートで手数料もかからないと言う。けれどすべて200ルピア札での両替と言われ、あわてて断った。一万円の両替をしたら500枚以上のお札と交換する事になってしまう。財布に入りきらんやん。てかその前に支払う時にめっちゃややこしいし。
そこで先ほどの裏通りの店に戻り、レートと手数料無しの確認をして、お札も50000ルピアでの交換と聞き安心、こちらで換える事にした。(今思えばここで安心したのが間違いだった)
さて、50000ルピアはほぼ500円である。
両替すると言うと、初め1人だった店番の男が別の男を呼び、なぜだか他にも数人の男が近寄って来た。
なんとなく囲まれる感じで、お札の確認がはじまった。
とてもアヤシイ。(− −#)
50000ルピアを2枚一組にして、なぜか両替屋の男は「ワン、トゥ、スリー、ワン、トゥ、スリー」と数える。そしてすごい早業。
いやいや、ややこしいやん?(− −#)
ワン、トゥ、スリーが3回とワンを1回で10なのは判るよ。
でもちゃんと、4、5、6も数えてよ。
仕方がないので、彼が数える時は「いちにーさんしーごーろくしちはちくーじゅう」と日本語で上からかぶせといた。
何回かお互いに確認し合い、自分も数えて一緒に来たK織も数える。
「あってる?」
「あってるな」
今思えばこれももよくなかった。
友達も確認してると思えばそれだけで安心してしまう。
お札を交換し、店を出て歩き出したところで、なにか腑に落ちない気がして財布のお札を数える。
ん?おかしくない?50000ルピア札が13枚しかない。。。
「1万円を500円に両替だと20枚はあるはずよね?」
でもあってたよね???
K織と首を傾げながら、それでもやっぱり足りないのは間違いない。
「騙されてる!」
店を出て何mか歩いたところだったので、すぐさま引き返して店の中に入っていった。
「ヘーイ!アーユーチーティング!!!!」
騙しただろう!とすごい剣幕で怒鳴り込んだものだから、向こうもあわてている。
「13枚しかない!」
と50000ルピアを見せると
「そんなはずは。。。」としどろもどろ。
けど、結局はじゃあその13枚戻してくれたら1万円札返すよ。
という事になった。初めから両替はなし。両者問題無しだと。
考えたらそれもおかしな話であるけれど。
13枚は7千円足らずだ。それを交換するんだから。
何が何でもダマそうというよりは、見つからなければラッキーくらいの感覚なのかも知れない。
怒り狂った日本人相手に最後まで食い下がる気はないらしい。
そうして、安全な表通りの両替屋に行って、無事両替は済ます事にした。多少レートが悪くてもやはり海外では安全第一だと学んだ。
学んだはずなのだが。。。。
この夜再び事件は起きたのである。
つづく
「Gili Life」は島の繁華街(というか港の周辺に集まる土産物屋やレストラン街)を少し外れた、比較的静かな場所にあった。
昨日まで泊まっていたKutaのホテルから比べると、山小屋?いや海小屋か、、、という長屋のような安宿だ。
宿に着くとさっそくシャワーが出る事を確認。(出ない事も多いらしい)はじめから聞いていたがもちろんお湯は出ない。
エアコンも無し。あるのは扇風機。
シンプルな四角い部屋にダブルベッドがひとつという作り。
こういう旅に慣れているK織に言わすと綺麗すぎる(笑)くらいらしいが、わたしは初挑戦的。
こう見えても意外と神経質なので気構えが必要な感じだ。
けれど今回の旅の滞在期間を考えると費用は少しでも押さえたいので、ネットで探せるギリギリの価格、1部屋1500円程度(2人で割ると1人一泊750円)はとてもありがたい。これで朝食も付いている。
Gili Lifeは庭に面してそういう部屋がいく棟か並んでいる。
入り口にはテラスがあり、テーブルとイスが置いてある。
私はそのテラスのイスに腰をかけてお茶を飲んだりぼーっと煙草を吸うのが好きだった。
Gili Life のすぐ近くにはモスクがあった。
朝な夕なにコーランのお祈りの音が聴こえ、ここは日本じゃないんだなぁと、テラスに座って感慨深いひと時を過ごす。
そうしているとたまにアジがやってきて、声をかけてくる。アジはこの宿の主人で家族で同じ棟に住んでいる。
アタマにちょこんと帽子のようなものを被り、ドクターの白衣のようなイスラムの衣装を着ている。敬虔なイスラム教徒なのだろう。
歳はいくつなのかわからないが、お爺さんにもおじさんにも見える。もしかしたら意外に若いのかもしれない。
けれど思慮と老成を感じさせる、深い眼差しをしていた。
わたしはアジがなんとなく好きだった。
バリ島に来てからというもの、道を歩いても、お店に入ってもとにかくやたらと見知らぬ現地の男性に声を掛けられる。
物を売りたい一心なのは判るが、臆面も無く話しかけて来られる馴れ馴れしさに、少し辟易としていたせいもあるかもしれない。アジには彼らには無い、奥ゆかしさと、礼儀正しさがあった。
アジは私がテラスにひとりで座っていると退屈してると思うのか、遠慮がちに近づいて来て、たわいもない話をひとことふたことを拙い英語ではなす。当然こちらも拙い英語なので、解ったような解らないような、けれどシンプルに優しさの伝わる会話になる。
部屋にムカデが出て、私たちが大騒ぎしていると、なんだそんなことかと素足でムカデを踏みつぶそうとする。
それを見ていた私たちはもっと大声を出すので、笑いながらモップを持って来て外に出してくれたり。
そういえば、「グラスボートに乗るか?ウミガメが見れるぞ」と言いに来て、翌日乗らないと返事をしたら少しがっかりしていた。斡旋するとアジにもマージンが入るのだろう。
アジはオーナーではあるけれども、その上に元締めがいて、売り上げを搾取されると、少し嘆きながら言っていた。
かわいそうな事をしたかもしれない。
あるときアジと話しているとへんな音が聴こえて来て、なにかと訪ねると「マパティ」だと言って空を指差す。
さっきから黒い小鳥が群れをなして飛んでいた。
それにしてもその音は鳥たちが出しているようにはとても思えないほどの、不思議に宗教的な共鳴音なのだ。
アジが言うには、それは声ではなくてノドの奥にある「ベル」で音を出してそれが共鳴しているのだという。
マパティの音、夕方の風、コーラン。
今思えばよく手入れされた庭を見ながら、Gili Lifeという安宿のテラスで過ごすひと時はとても優雅だった。
つづく
*写真はGili Lifeの朝食。このバナナパンケーキがカリッとしててめちゃウマ!
帰りのファストボートのチケットを手に入れた私は少し安心した。
これでとりあえずはバリ島まで帰れるし、そこから飛行機に乗れば日本まで帰れる。(来たばっかりなのに帰る心配ばかりしている、、ヘタレである)
それから車はサクサクと港に着いた。さっそくボートに乗り込む。
このボートはトラワンガン島に寄った後、ロンボク島に行くボートのようだ。甲板に積まれた荷物の3分の2はロンボク島に行く人たちのものであった。
ちなみにこれまでの日程で日本人に会う事は皆無。ここでも乗り込む乗客はほぼ欧州人、わずかに中国系と思われる人々、あとはインドネシア人の乗務員。
船に乗り込んで港を出発して直ぐに、何人かが船室の席を立って船の外側に通じるドアから出て行ったまま帰って来ない。
あーこりゃ甲板に出られるな?と察して同じドアから外に出てみた。すでに高速で走り出しているボートは水面を滑りながら激しく水しぶきを上げている。
落ちたらまず助からないなーーと思いながらも側面ギリギリを歩きながら甲板に上がりたいアピールをすると、乗務員が手を添えて梯子を登らしてくれた。(一応女子なのだ)
すでに甲板にいる人たちは思い思いに座ったり寝ころんだりしている。私とK織も適当なスペースを見つけて船の端に腰をかけ、サンダルを脱いで水面に足を垂らす。
めちゃめちゃ気持ちいいーー!
風がすごい勢いで顔や髪をすり抜けて行く。
やがて視界の中から陸地が消え、前もうしろも海になった。
遠くでイルカも並走してる。
そのうちにボートはトラワンガン島へ。
旅が終わった今も記憶に残る気持ちのいい2時間半だった。
港というか、、、ボートはそのまま浜辺に突っ込むカタチで島に到着。降りる場所は波打ち際である。
足下を波に巻かれながら、ボートから降り浜辺に降ろされている自分の荷物を確認する。
そしてこの時点で自分がバックの選択を間違えたことに気づく。浜辺に積まれている荷物は私のを覗いて100%バックパック。
コロコロの付いたスーツケースなんてだれも持って来てない。
そう。ここはバックパッカーの島。
あるのは砂浜と石がゴロゴロしている泥濘の道のみ。
道路を渡るのは自転車かチドモと呼ばれる一頭立ての小さい馬車のような乗り物だけ。もちろん車もない。
そんなところで、ゴロゴロとスーツケースを引きずって歩くわたし。遠足でみんながジャージなのに1人だけまちがって制服を着て来たみたいな恥ずかしさだ。
実は前の晩パッキッングしながらかなり迷ってスーツケースにしたのに。。。
一応島に行く事は判っていたので、バリ島に来る際に日本からザックを持って来てはいた。
けれど、そのザックの容量は30ℓほどと小ぶりだったため、滞在日数が決まってない旅の荷物を詰めるには少し無理があると判断。悩んだ末、日本から持って来た荷物の半分程度をスーツケースに詰め、残りをトラワンガン島に渡る前にザックごとプラマ社に預けて来た。
その結果、止むなく雨上がりの泥濘をスーツケースをガタガタ云わせながら、我々は予約していたバンガロー「Gili Life」を目指して進むのだった。
*ちなみに、プラマ社というのはKutaのレギャン通りにある旅行会社のひとつ。ボートのチケットの手配だけでなく、荷物の預かりもしてくれる(費用は一週間で100円程度)島に渡るならぜひオススメ。
つづく
"Balian"に肩こりを治してもらい(そんな目的で行ったわけではないけれど)スッキリして、翌朝予定どおり島に渡る事にした。
と、いってもトラブル続きと予告していた通り、ロストバゲッジに続きまたまた事件は現場で起こった。
渡るつもりの島は「ギリ・トラワンガン島」というとても小さい島である。
はじめの予定では、バリ島の隣、比較的大きなロンボク島というところに渡って一泊、それからボートでギリトラワンガン島に行くつもりだった。
しかしまさかのロストバゲッジのおかげで予定を変え、ロンボクを通過せず、そのままバリ島から一気にギリトラワンガンに渡る事を決めていたその前日の夜中。。。。
一緒に行くはずの友達のK織がなかなかホテルに戻って来なかった。こちらに来てできた友達との別れを惜しんでるんだろうな。。。とさほど心配していなかったが、それにしても遅かった。
そもそもこの計画を初めに決めたのはK織である。彼女はこの2ヶ月前にタイに渡り、パンガン島という世界で一番有名なパーティアイランドで過ごした楽しい日々にすっかり魅せられ、今回のトラワンガン島行きを決めたのだった。
ちょうど仕事を辞めて、どこかに行きたしと思ったわたしがその計画に乗っかったのだ。
その深夜、もっと言えば朝方、K織は帰って来た。
もう迎えの車がやってくる時刻。
なかなか起きて準備しないK織に、もしかしてあまりに地元友達(笑)と別れるのが寂しくて行きたくなくなったんじゃ、、、???と思っていた矢先、横になったままのK織がつぶやいた。
「わたし行けなくなった」
やっぱり離れるのさみしーんやん!(わたしのココロの声)
と思ったが、K織の次のつぶやきは
「昨日クレジットカード擦られた」だった。
なんじゃとーーー???
K織が言うには、深夜に友達とご飯を食べたワルン(現地の人が食べる屋台のようなところ)で、たぶんポーチのファスナーが開いていて擦られたんじゃないか。。。と。
つまり身体に着けてたまま盗られたという事ね。
おお恐るべしインドネシア。
わたしも来たばかりで2週間、K織は後3週間この地で過ごさなければならない。所持金にも限度がある。
下手に動けばお金もかかるし後が困る。
ここはおとなしくKutaに滞在すべきか。。。
でもこの旅の目的は島巡り。。。
チケットは買っちゃったし、迎えの車はもうすぐ来る。
自分だけ行くのも有りだが、なんとなくオモシロそうというだけでK織の島行きに乗っかったわたし。1人で行くほどその島に思い入れもない。。。
ううーーんと悩んでいたところ、明日日本に帰る予定のもうひとりの友達、K子が多めに現金を持って来てるから貸せるよという。そこで一気に元気を取り戻し、いきなり準備に取りかかるK織であった。ああ、よかった。ありがとうK子さま。
さて、俄然やる気になった私たちは迎えの車(乗り合い自動車みたいなもの)に乗り込みいざ出発。ボートが出るパダンバイの港へ。
1時間半ほど山道を走り、途中手続きのためか旅行社の事務所のようなところへ寄る。
ここで、帰りのファストボートのオープンチケットを勧められる。
今買えば割引できるという。
行きのチケットは5000円くらいを4500円で割引購入。
帰りはどうするか決めていなかったので、現地に着いてからと思って買っていなかった。
同行のK織とは滞在期間が違うので、帰りは別行動になる可能性が高い。現地で買うローカルボートはかなり安いが、時間もかかってしかも危ない目にあうかもと聞いていた。
そもそも1人で船会社を探して拙い英語力でボートのチケットが買えるのかしら?騙されるかも。。。?という不安。
けれど先に決めてしまう事でこの旅のメインテーマである「行ってみて気分で考える自由度」が制限される気もする。
さあどうする?と車のドライバーや旅行会社の受付嬢が無言で詰め寄る中。。。
うううう。。。(ここでこんな事をめっちゃ悩む、優柔不断な自分を発見)
2、3分悩んで買う事にする。(ここで、自由より安全を選ぶヘタレな自分を発見)
旅は自分への発見である。
後にこの決断をやっぱり後悔する事になるのだが、この時のわたしはまだそれを知らない。。。
つづく
2月にBaliに渡った。2度目の海外。
初めての海外旅行はすべて友達にセッティングしてもらいお客さんのような旅になった。
今度は自分でチケットを取るところから始めて、渡航も独り。
ありがちなツアーとかに申し込むことにはなぜだかならない。
とはいえ現地で友達は待ってるし、こっちではイロイロ分らないことを聞きまくり助けてもらいながらの旅である。
行き先はインドネシア バリ島。
2度目にしていきなり2週間の滞在。
今気がついたけどさっきから”2”という数字ばかり入力しているわ。なにか意味あるのか知らん?笑
さて、それにしてもトラブル続きの旅であった。
先ず着いた空港でのロストバゲッジ。
荷物着いてまへんの巻。
なにしろ判らないからいつまでも待つ。
ぐるぐる回る他人のスーツケースを見ながらぐるぐるぐる。
気づいた時には何人かの日本人観光客とおぼしき人たちが、列を作って調書のようなものを取られていた。
「荷物のことですか?」と日本語で聞くと
「関空からの分だけ届いてないようですよ」と教えてくれた。
そんなことあるのね〜と思いながら、緩やかに談笑しながら悪びれもせずに必要事項を聞き取る職員に、お国柄の違いを感じる。
まあ、荷物がちゃんと届きさえすればいいだけの話なのだけれど。明日の朝飛行機で別の島に行く予定もあるし、ここはめいいっぱい困ったちゃん顔を作り、「明日届かないと本当に本当に困るのだ」とアピールしておいた。
而して、、、、まあ予定通りには届かないんだけどね。これが。
けれど、結局一緒に行く友達がバリ島内でのんびり過ごそうと提案してくれたので、ありがたく予定変更。
朝はホテルのプールサイドでのんびりお茶を飲み、それからUbudの街へ。
タクシーを半日チャーターして、1時間半ほどかけてKutaから少し北のUbudはカワイイお店とオシャレなカフェが並ぶ、いわゆるオシャレスポットだ。
我々の目的は、有名な段々畑(ライステラス)でお茶を飲むということくらいだったので、少しの買い物とアートマーケット(単なるお土産物やさんだった)や、ドライバーのヤワンに連れて行ってもらった”Balian(呪術師)"に会いにいったり、寄り道の多いドライブであった。
"Balian"
日本にはいないけれど未開の土地とかには必ずいる、お医者さんと宗教家と占い師が一緒になったような。。。とりあえず何か困ったことがあったら村人が行って相談するカウンセラー的な存在。。。のようである。
ちなみにドライバーのヤワンは数日前に体調が悪くなったので行って来たと言っていた。
恋愛相談も出来るらしい。
浮気した彼氏に、呪いのまじないとかも掛けてくれるらしいので心当たりのある方は要注意。(− −)
して、私たちの出会った”Balian"はとてもバリアンらしいバリアンで、人里離れた林の中の家に住み、着くとさっそく中庭のようなところで呪術を施行してくれた。
「診てやるからそこに寝ろ」ってな感じのことを言ったとおもう。(よく判らない)
そしてアタマや耳のツボのようなところを思いっきりぐりぐりされる。
悲鳴が出るほど痛い。
右の後頭部ぐりぐり「ぎゃー!」
左の後頭部ぐりぐり「あれ?」
右の耳の下ぐりぐり「ぎゃー!」
左の耳の下ぐりぐり「ん?」
寝ながら足の指や、手の指がどこに繋がってるかを聞きながら、やっぱり右「ぎゃー!」左「んん?」
てことで相対的に右側が悪いらしい。(そりゃそうね。この流れなら)確かに昔事故で右の腰を打ってたり、なにかと右側にトラブルは多いので少し信じる。
あと、女性ホルモンが弱って来ているらしい。
診断が終り、その後は治療に入る。
ここが占い師とは違うところかも。
治療は何かのおまじないを唱えながら、木の棒のようなもので身体の上をくるくる、ちょんちょん、くるくる、ちょんちょんとつつく感じ。
私は目を閉じて横になっているので全容は判らないけど、一緒に見ていた友達が言うには、かなりセクハラゾーン(笑)ちょんちょんしていたとの事。女性ホルモン足りないしね。笑
それにしても面白い体験であった。
次回バリに行った時はまた是非訪れたいスポットである。
あ、余談ですがその後肩こりはすっかり治りました。笑
肩こり治療にはオススメです。
ホルモンは足りてるのか判らないけど、今のところ不自由はしていないのでよしとしよう。
そんなこんなで、バリ島の楽しい一日目はライステラスで見る夕陽によって暮れていったのである。
つづく
変って行くもの、替えて行くこと。
今年は変化の年になりそう。
未知の世界に踏み分け入ること。
「私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。」
尊敬する画家の堀文子さんの言葉。
彼女は幻の花 青い芥子を求めて81歳でヒマラヤに登った。
自分の目で見てそれを描きたいと切望したからだ。
そして、実際に登頂に成功。
青い芥子の花は「ブルーポピー」という作品になった。
未知で困難な方。
81歳になったときに、自分がその方向に向かえるのか。
それは永遠の課題であり、自問自答の設問でもある。
享楽的な自分の性格を知っているだけに、自分には無理かも知れないと思う。
それでも、そうありたいとせめて願う。
2014 元旦
2013,12,19 「真冬の夜の夢」@UrBANGILD
無事終りました。
終ってしまったライブの話を
今さら、書こうと思っても名文が浮かばない。
よく言われることですが、その場のその音、空気、匂い、感じたことを誰かに伝えようとしても、それはやはりその場にいないと解らないと思ってしまう。
ただただ、怪我もなく、事故もなく、無事終れたことに感謝。
無理な出演依頼を快く引き受け、本当にいい演奏をしてくださった
kajaさんはじめJammin'のメンバーの皆様
東京から車で朝早くから出発して、そのままリハ、本番と、体力気力でのりきってくれた中山八大率いる808(ALL STARS)のみんな
with 特別出演の清水興さん
いつも「ええよええよ」とお願いを聞いてくれるASIA SunRise
そして来て下さったお客様が楽しそうにしていてくれたことが、何より嬉しかったです。
今回の出演メンバーでは、たまたまハチさん(808 Vo)の古くからの知り合いで今回808で特別出演、NANIWA EXPのベーシスト清水興さんとKajaさんもお知り合いだったり、ハチさんはKajaさんがきっかけでBOB好きになってかれこれ25年だったり、808のドラムの岳ちゃんは昔、Kajaさんのサポートしてたり、そういえばいつもなにかと助けてくれる、UrBANGILDのブッキングマネージャーRyotaroさんも昔お世話になったとかで清水さんに会うのを楽しみにしていたな。
偶然なのか必然なのかの繋がりで、始まる前から楽しくなりそうな予感はしてたのだけど。
そして「真冬の夜の夢〜Kaja & Jammin'から 808(ALL STARS)へ〜」
予感どおり真冬に汗をかく熱気と笑顔のライブになりました。
私はよくやるんだけど、ライブに行って後ろや前を振り返り、ニコニコしているお客さんの顔を眺めるのが好きなのです。
もちろんミュージシャンもなんだけど、聴いてる人が楽しんでるのを見てるが楽しいの。
今回もみんなが楽しかったと言ってくれたのがなにより嬉しかった。
拙いシロウト企画を細々と続けている理由は、これが見たかったからかもしれないな。
と思い、あえてブレブレの画像アップ
*ライブの写真は後日galleryにて
胃が痛い。
このところ続けてお酒を呑んでいるせいかもしれない。
すごく呑む人だとよく誤解されるが、私はそんなにお酒が呑めない。
体質的にアルコールアレルギーなの。
ビールをコップに半分飲んでも顔も身体も真っ赤になるのは、酔っぱらっているわけじゃなくて、単にアレルギー反応を起こしているに過ぎないのだ。
そういうわけで、若い頃からアルコールを呑むと、一緒に呑んでる人から必ず「もう止めといたら?真っ赤だよ」
と止めが入る。
いやいやいやいや。
目の前の君よりよっぽど正気だから。
とは言っても何しろ外見は酔っぱらいのソレなので、聞き入れてはもらえず、一気呑み!、とか、ボトルを1人で空ける!とかの若気の至りの無謀な挑戦からはなにかと遠ざけられてきたのだった。
おかげで、飲酒料は増えず武勇伝も語れず。。。
最近は1人で呑むことも増えたので、誰にも止められないのをいいことにワインをボトル半分くらいは空けたりするようになった。(ちょっと、盛ってます)
で、結局、、、最近ではアルコールを呑むと胃が痛くなるということに。。。。
アレルギーだけじゃなくて胃が弱かったのね。
早く気づくべきだった。。。。
昔お酒のみの上司が「二日酔いの朝は味噌汁だよ」
と言っていたのを思い出し、二日酔いではないけれど、胃の調子を整えるべく、真夜中に味噌汁を作る。
キャベツと玉葱と玉子。
生姜も加えてみました。
飲んでホット一息。
胃の痛みも治まった。不思議。
という間に窓の外が明るい。
もう朝なのね。
真夜中の味噌汁が朝の味噌汁に。
普通だわ。
さて、12月。
ここに来てHPを作ることにした。
なんとなく今年始めたことが幾つか溜まってきた。
カタチとココロの整理がしたくなったのかしら?
ホントになんとはなしに。
思えばイベントのオーガナイズなんてやったことないくせに、無謀にも始めてみたり。フライヤーなんて作ってみたり
今年生まれたわけでもないので、startというより「岐路」という感じ。
ちがう流れに入ったみたいに。
とりあえず、そんな今年も終りに近づいて、もう少しで今年最後の自己企画イベント日も近い。
もう何年も前に描いていた絵も出てきた。
わりと大きなデザインコンペに出品した作品で、思い入れがあったからじゃなくて単に大きくて捨てづらかったために残っていたもの。
ゴミ袋に入りきらずに。
仕事で絵を描いていた時は、自分の作ったモノにあまりにも執着がなくて、すべて捨ててしまった。自分で捨ててはないけれど、幾つかもらった賞の作品は、副賞の代わりに主催者の持ち物になった。
捨ててしまうとはじめから無かったのとほぼ等しい。
ほぼというのは、全くないのと比べると幾つかの断片的記憶と記録が残っているからだ。コンペの目録に名前が載っていたり、へんな会社のHPに使われていたり。
そんな、断片を少しづつ繋ぎ合わせて、新しい岐路に立ち、これから未知の旅に向かおうとしている。繋がるかしら、と半信半疑で。
もっともっとちがう激流に流されていく心づもりで。
ご隠居するにはまだ早いしね。笑
あ、そうそ。
煙草も今年始めました。。。どうでもいいですが。笑