hiyoko monoomofu










尊敬する親鶏が
もとはヒヨコじやなくて
始めから小さい 親鶏だったと
知ってたいそう驚いた。

模倣したことないって
始めから自分だって
それが自分にとって表現 
というものだって

親鶏からこの話を聞いた時
ヒヨコのわたしはホントにとてもとても驚いたのだ。

どこにも道がない真っ暗な草原を1人で歩く 小さい親鶏を想像した

あ、鳥だから飛んだかな?
むしろ真っ暗な空なのかも知れない
確かに空には道はない。


はじめに道がある方が安心する。
それは「わたし」というヒヨコの性格なんだろうな。

やり方を知らなくてもサンプルがあれば、何とか努力して
「似せる」事は出来る。それは「偽せる」なのかも知れないけど。

でもそのうちその「偽たもの」はヒヨコ本体と合間って、
別のオリジナルに成るような気がしてた。


模倣でないなら「合ってるとか間違ってる」とかいう概念もないなぁ。

ヒヨコはパカッと頭蓋骨が開いて
なんだか違う世界が見えた気がした。


チャクラが開いたのか?

さすがの親鶏師匠を仰ぎ見たりして。

やっぱりおもしろい人だ。

「囚われてる」と言われて
確かに「囚われてる」と思った出来事。

どっちが良い悪いではないから
模倣から入る人もいるよね。
その2人がその後も努力し続けたとして


最後まで道は別れたままだろうか? 
それとも行き着く先は同じなのかな?





※写真は昔岡山にあった逆さま喫茶「PAPIN」
中も全部逆さま。デーブルに座って珈琲飲んでるだけで酔います。笑

Shake your brains!