closing staf

      

オープニングスタッフと言うのは比較的によく耳にすると思うが、クロージングスタッフというのは聞いたことが無い。

カタカナで書くと洋服のクロージングとも取れるので、アパレル系スタッフとも読めるかな?

それとは違って、終わりを引き受けるスタッフと理解して欲しい。

 

兎も角、4.5ヶ月の仕事が終わった。

あるメーカーのひとつの事業部(店舗)が終わるに当たって、その終わり4.5ヶ月を静かに美しく終わらせて行くという仕事を引き受けたのは昨年の紅葉をこれから迎えるという頃。

 

長年、働いていた古参のスタッフが事業部の撤退を知って急遽職場を去る事を決意、その後釜に私が入った形になる。

 

形態は違うが、ひとり店長のような仕事。

そのために雇われ、2日で引き継ぎ、その後は手探りでの業務になった。

 

まあ、そんな状況はもう終わったことなので過ぎれは楽しい戸惑いの日々だったかなと思う。

 

店舗運営の要である、売り上げのアップもノルマもなく、ただひたすらに完了して行く商品構成でどうにか店舗を賄わなければいけない。

クロージングセールなどはしないし、もちろんお客様にアナウンスはしない。

通常と同じ流れで販売しながらの撤退。なので当然品薄、欠品によるご意見を頂戴する。だが、上からの御達しでクローズは口外厳禁だったため、その件はひたすらに謝るしかない。

 

その中でヴィジュアルを工夫しながら、在庫の有るものをpick up納品しながら、売り上げも前年比で120%を達成。

在庫が引き継ぎ時から3分の1に減りながらしにては大健闘だったと我ながら思う。

ここだけちょっと達成感なので(クロージングブランドに置いては余り問題にされないので少しだけ褒めさせて。笑)

 

そして、個人的な禊ぎをこの仕事に感じた日々でもあった。

 

私は10年ほど前にある外資系ブランドショップの店長していた。

 

本国では押しも押されもせぬブランドではあるけれど、日本のマーケットとは反りが合わずに終わりゆくブランドではあった。

 

前任者から引き継いだ時にはもうこれ以上下がりようがないとまで言われた売り上げが(全盛期から見ると)更に下がって行く中で、四苦八苦しながら戦っていた。

 

いろんな問題があった。

日本マーケットととのいろいろなミスマッチ。

価格、生活形態、商品数、コレクションラインだったため、それらを日本向けに再構築するというのも無理。コレクションラインは本国と同じものを売るのが原則なのだ。

 

売り上げ不足からくるスタッフの減少、何より店舗ビル側の外資系ブランドの契約事項に対する無知、ひとりのデザイナーのこだわりに対する尊厳の無視。

 

ユーザーに向けて出したい全力がその店舗側との交渉にエネルギーを吸い取られて、もはやボロボロになった3年目に私は白旗を挙げた。

 

辞めたのである。

 

愛する仕事であった為に、最後の断末魔を聞きたくなかった。

もちろん後任も自分で探して半年間、待ったをかけられての両者合意の上での退職ではあったが、気持ち的には「逃げた」というのが心情。

 

そう、最後の断末魔を聴いてあげられなかった想いはずっと心の何処かで燻っていた。

 

今回同じビルでのこの仕事のオファーを受けた時に、頭に浮かんだのは「因果応報」の文字。

人生の何処かでやり残したことは、いづれまた巡って来るなぁと思いながらの数ヶ月間だった。

 

なので、辞めた古参のスタッフの心情もよく分かる。愛があるからこそ、スクラップになった姿を見てられないという気持ち。

 

幸い、今回は初めてのブランドで、ハッキリ言って長年の思い入れも無かったので割り方事務的に作業が進めることができた。

 

 

クロージングスタッフというのがもし、一般的に広まるならそれはとても合理的なものごとの終らせ方かも知れないね。

 

 

全てにおいての冷徹な判断と思い切りのよさが終りゆくモノゴトには必要だと感じた出来事でした。

 

✴︎写真と内容は関連ありません