土曜日の夜。
カオリのボーイフレンドのドゥンとその友達のサンディが、レギャン通りから少し奥に入った路地沿いのホテルまで、バイクで迎えにきてくれた。
カオリはドゥン、私はサンディの後ろに乗り、夜中まで渋滞しているレギャン通りの車の間をバイクですり抜ける。
まるで以前からここに住んでいるような錯覚に陥る。
けれどこれは2週間の旅のほんのひとコマ。
仕事を辞めたばかりで、少しどこかで考え事をしようと思い、日本じゃない知らない場所で、知らない何かを見てみたいと考えてのバリ島旅行だった。
飛行機が着いて2~3日をクタで過ごし、それからバックパッカーの島、ギリ諸島を巡り、再びクタに戻ってきた。
午後になると蒸し暑い熱気が立ちこめる。
昼間はのんびりとホテルのプールサイドで過ごし、夕方少し涼しくなってから食事をしに出かけ、夜はどこかのバーで古くさい洋楽の生演奏を聴く。
それくらいしかする事がなくなっていた。
滞在期間があと何日かを残すだけとなり、最後にどこに行きたいかと訊かれ「アパチェ」と答えた。
アパチェは地元の人の発音。Apacheというクタでいちばん有名なレゲエバーだ。
元同僚のカオリも同時期に仕事を辞め、彼女は1ヶ月の滞在期間で先にバリに来ていた。社交的で英語の上手なカオリは来て早々現地でボーイフレンドを作り、もうその友達たちともシスター、ブラザーと呼び合う仲になっていた。
バイクを駐車場に停め、アパチェへ向かう。
道すがら声をかけてくる人たち。カオリの彼のドゥンはこの辺の顔らしく、どこに行っても知り合いが声をかけてくる。
また1人、アパチェの前ですれ違い様にハイタッチで挨拶していく。
何日か前にもここに来たが、その日は平日だった為に1fフロアのボックス席が何席か空いているくらいだった。けど今日はさすがの土曜日。どの場所も満杯で人があふれている。
私たちはドリンクカウンターで飲み物を頼み、2階への階段を上がってようやく空いてるテーブル席を見つけて腰を下ろした。
上から見下ろすと人の頭の数の多さに驚く。それがみんな思い思いに揺れている。
あと何日かで、このクタを離れる。2週間とは言え現地に馴染んでしまった今、離れるのは感慨深いものがある。
私は1人階下に降りて行き、フロアに出て踊った。
何度かサンディが追いかけてきた。彼はトイレに行くにもついてきて外で待っててくれる。彼の親切すぎる親切が少し面倒臭くなり見つからないように人混みの中に紛れた。
フロアの中央でさっきこの店に入る前にドゥンとハイタッチして行った彼が声をかけてきた。「ジャパニーズ?」お決まりの質問と笑顔。
「さっき店の前で会ったよね?僕の友達が君と僕の顔が似てると言っているよ」
そんなこと言われたのは初めてだ。どう見ても日本人顔の私とこのボブマーリー顔のドレッド君が似てるかな???
どこに泊まってるんだ?ホテルはどこ?と訊いてくる。
ホテル名を明かそうとしたところでサンディに腕をつかまれ元のみんなの場所に戻された。2階へ上がるとドゥンがとても怒っていた。めずらしい。彼はいつも笑顔なのに。
「昨日事件があった。知り合いのロシア人の女性がレイプされて、クレジットカードも盗まれた。ここから勝手に離れちゃダメだ。ここは本当に危ない。気軽に知らないヤツについて行っちゃダメだ。」
「だって、彼はあなたの友達でしょ?さっき店の前で挨拶してたじゃない?」
「知り合いは知り合いでも本当に信用できるとは限らない。そんな知り合いはいっぱいいる。ここにいる俺たち以外は信用するな。」そう言ってサンディと後から一緒に来たアセップを指差した。
ドゥンのあまりの剣幕に驚いたけれど、思い直した。
そうだここは外国だった。少し慣れたつもりでいたけど、日本とは違うのだ。
知り合いにカードを盗まれたり、レイプされたりなんて日本では考えないけど、ここでは日常の話なのだった。
仕事を辞めもしかしたら将来的に海外に住むのも考えようと思っていたけれど、レゲエバーのフロアで踊ることさえ日本とは違う心構えが必要なのだ。
外に出たらドシャブリの雨だった。
夜中の3時を回りいいかげん疲れたので帰ろうとしていたのに、この大雨では雨に濡れても気にしないバリの人達も軒下で雨を避けている。
けれどいつまでたっても雨足は衰えない。
「Go!」
最初に軒下を飛び出したのはドゥンだった。
そのままみんながあとに続き、駐車場からバイクを引っ張りだす。水たまりの中を雨水を蹴散らしながらバイクを転がし、なんとか通りまで出る。
サンディが自分の分のウインドブレーカーを貸してくれた。
すでに髪の毛も身体もべちゃべちゃに濡れているけれど、風が直接当たらないので寒さがマシだ。
とりあえず、雨を避けるために海岸道路沿いのマクドナルドに向かった。
あまりに濡れているので、店内には入らず外のテラス席でコーヒーを飲む。
まだ雨は止まない。
なんだか可笑しくなってきた。
バリ島くんだりまで来て真夜中のマクドナルドで目の色や髪の色が違う人たちに交じって振るえながらホットコーヒーを飲んでいる。
外はドシャブリで自分たちはずぶ濡れだ。そのうち空がすこしづつ白みかけてきた。鳥の声も聴こえる。まるで古い青春映画のワンシーンみたいだ。
この歳になって青春もクソもないけど、こんな経験をすることももうなかなかないだろな、と思い。。。
そもそも2ヶ月前には毎日同じ場所に、同じ仕事に、同じ人たちと、一緒にいるのが当たり前だった生活。
そこそこ楽しい事もあったし、めんどくさい事も、あった。
みんなそんなもんだと思っていたし、特別に不幸でも幸せでもなかった。
そんな暮らしが続いて行くだろうと思っていた。
いま日本から遠く離れた、知らない国で海から昇る朝日を知らない人達と一緒に見ながら、これからのことを思う。
いや、この歳になっても人生まだ何があるかは判らないな。
と思い直す。
そしてわけもなくワクワクしてきた。
完
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